ジヨバンニはどうしても氣持がなほりませんでしたから、ただぶつきら棒に野原を見たまま、
「さうだらう。」と答へました。
そのとき汽車はだんだんしづかになつて、いくつかのシグナルとてんてつ器の灯を過ぎ、小さな停車場にとまりました。
その正面の青じろい時計はかつきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車もうごかずしづかなしづかな野原のなかに、カチツカチツと正しく時を刻んで行くのでした。
そしてまつたくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のやうに流れて來るのでした。「新世界交響樂だわ。」向うの席の姉がひとりごとのやうにこつちを見ながらそつと言ひました。全くもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰れもみんなやさしい夢を見てゐるのでした。
(こんなしづかないいところで僕はどうしてもつと愉快になれないだらう。どうしてこんなにひとりさびしいのだらう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といつしよに汽車に乘つてゐながら、まるであんな女の子とばかり話してゐるんだもの。僕はほんたうにつらい。)
ジヨバンニはまた兩手で顏を半分かくすやうにして、向うの窓のそとを見つめてゐました。
すきとほつた硝子のやうな笛が鳴つて、汽車はしづかに動き出し、カムパネルラもさびしさうに星めぐりの口笛を吹きました。
「ええ、ええ、もうこの邊はひどい高原ですから。」
うしろの方で誰かとしよりらしい人の、いま眼がさめたといふ風ではきはき話してゐる聲がしました。
「たうもろこしだつて棒で二尺も孔をあけておいて、そこへ播かないと生えないんです。」
「さうですか、川まではよほどありませうかねえ。」
「ええ、ええ、河までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峽谷になつてゐるんです。」
さうさう、ここはコロラドの高原ぢやなかつたらうか、ジヨバンニは思はずさう思ひました。
姉は弟を自分の胸によりかからせて睡らせながら、黒い瞳をうつとりと遠くへ投げて何を見るでもなしに考へ込んで居るのでしたし、カムパネルラはまたさびしさうにひとり口笛を吹き、男の子はまるで絹で包んだ苹果のやうな顏いろをしてねむつて居りました。
突然たうもろこしがなくなつて、巨きな黒い野原がいつぱいにひらけました。
新世界交響樂ははつきり地平線のはてから湧き、そのまつ黒な野原のなかを一人のインデア
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