けれども、誰《だれ》だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸《さいわい》なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるしてくださると思う」カムパネルラは、なにかほんとうに決心《けっしん》しているように見えました。
 にわかに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石《こんごうせき》や草の露《つゆ》やあらゆる立派《りっぱ》さをあつめたような、きらびやかな銀河《ぎんが》の河床《かわどこ》の上を、水は声もなくかたちもなく流《なが》れ、その流《なが》れのまん中に、ぼうっと青白く後光《ごこう》の射《さ》した一つの島《しま》が見えるのでした。その島《しま》の平《たい》らないただきに、立派《りっぱ》な眼《め》もさめるような、白い十字架《じゅうじか》がたって、それはもう、凍《こお》った北極《ほっきょく》の雲で鋳《い》たといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久《えいきゅう》に立っているのでした。
「ハレルヤ、ハレルヤ」前からもうしろからも声が起《お》こりました。ふりかえって見ると、車室の中の旅人《たびびと》たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂《た》れ、黒いバイブルを胸《むね》にあてたり、水晶《すいしょう》の数珠《じゅず》をかけたり、どの人もつつましく指《ゆび》を組み合わせて、そっちに祈《いの》っているのでした。思わず二人《ふたり》ともまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬《ほお》は、まるで熟《じゅく》した苹果《りんご》のあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
 そして島《しま》と十字架《じゅうじか》とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
 向《む》こう岸《ぎし》も、青じろくぼうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀《ぎん》いろがけむって、息《いき》でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火《きつねび》のように思われました。
 それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列《れつ》でさえぎられ、白鳥の島《しま》は、二|度《ど》ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵《え》のようになってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗《の》っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリックふうの尼《あま》さんが、まんまるな緑《みどり》の瞳《ひとみ》を、じっとまっすぐに落《お》として、まだ何かことばか声かが、そっちから伝《つた》わって来るのを、虔《つつし》んで聞いているというように見えました。旅人《たびびと》たちはしずかに席《せき》に戻《もど》り、二人《ふたり》も胸《むね》いっぱいのかなしみに似《に》た新しい気持《きも》ちを、何気なくちがった語《ことば》で、そっと談《はな》し合ったのです。
「もうじき白鳥の停車場《ていしゃば》だねえ」
「ああ、十一時かっきりには着《つ》くんだよ」
 早くも、シグナルの緑《みどり》の燈と、ぼんやり白い柱《はしら》とが、ちらっと窓《まど》のそとを過《す》ぎ、それから硫黄《いおう》のほのおのようなくらいぼんやりした転《てん》てつ機《き》の前のあかりが窓《まど》の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、まもなくプラットホームの一|列《れつ》の電燈《でんとう》が、うつくしく規則《きそく》正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人はちょうど白鳥|停車場《ていしゃじょう》の、大きな時計《とけい》の前に来てとまりました。
 さわやかな秋の時計《とけい》の盤面《ばんめん》には、青く灼《や》かれたはがねの二本の針《はり》が、くっきり十一時を指《さ》しました。みんなは、一ぺんにおりて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分|停車《ていしゃ》〕と時計《とけい》の下に書いてありました。
「ぼくたちも降《お》りて見ようか」ジョバンニが言《い》いました。
「降《お》りよう」二人《ふたり》は一|度《ど》にはねあがってドアを飛《と》び出して改札口《かいさつぐち》へかけて行きました。ところが改札口《かいさつぐち》には、明るい紫《むらさき》がかった電燈《でんとう》が、一つ点《つ》いているばかり、誰《だれ》もいませんでした。そこらじゅうを見ても、駅長《えきちょう》や赤帽《あかぼう》らしい人の、影《かげ》もなかったのです。
 二人《ふたり》は、停車場《ていしゃば》の前の、水晶細工《すいしょうざいく》のように見える銀杏《いちょう》の木に囲《かこ》まれた、小さな広場に出ました。
 そこから幅《はば》の広いみちが、まっすぐに銀河《ぎんが》の青光《あおびかり》の中へ通っていました。
 さきに降《お》りた人たちは、もうどこへ行ったか一人《ひとり》も見えませんでした。二人《ふたり》がその白い道を、肩《かた》をならべて行きますと、二人《ふたり》の影《かげ》は、ちょうど四方に窓《まど》のある室《へや》の中の、二本の柱《はしら》の影《かげ》のように、また二つの車輪《しゃりん》の輻《や》のように幾本《いくほん》も幾本《いくほん》も四方へ出るのでした。そしてまもなく、あの汽車から見えたきれいな河原《かわら》に来ました。
 カムパネルラは、そのきれいな砂《すな》を一つまみ、掌《てのひら》にひろげ、指《ゆび》できしきしさせながら、夢《ゆめ》のように言《い》っているのでした。
「この砂《すな》はみんな水晶《すいしょう》だ。中で小さな火が燃《も》えている」
「そうだ」どこでぼくは、そんなことを習《なら》ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
 河原《かわら》の礫《こいし》は、みんなすきとおって、たしかに水晶《すいしょう》や黄玉《トパーズ》や、またくしゃくしゃの皺曲《しゅうきょく》をあらわしたのや、また稜《かど》から霧《きり》のような青白い光を出す鋼玉《コランダム》やらでした。ジョバンニは、走ってその渚《なぎさ》に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河《ぎんが》の水は、水素《すいそ》よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流《なが》れていたことは、二人《ふたり》の手首《てくび》の、水にひたったとこが、少し水銀《すいぎん》いろに浮《う》いたように見え、その手首《てくび》にぶっつかってできた波《なみ》は、うつくしい燐光《りんこう》をあげて、ちらちらと燃《も》えるように見えたのでもわかりました。
 川上の方を見ると、すすきのいっぱいにはえている崖《がけ》の下に、白い岩《いわ》が、まるで運動場《うんどうじょう》のように平《たい》らに川に沿《そ》って出ているのでした。そこに小さな五、六人の人かげが、何か掘《ほ》り出すか埋《う》めるかしているらしく、立ったりかがんだり、時々なにかの道具《どうぐ》が、ピカッと光ったりしました。
「行ってみよう」二人《ふたり》は、まるで一|度《ど》に叫《さけ》んで、そっちの方へ走りました。その白い岩《いわ》になったところの入口に、〔プリオシン海岸《かいがん》〕という、瀬戸物《せともの》のつるつるした標札《ひょうさつ》が立って、向こうの渚《なぎさ》には、ところどころ、細《ほそ》い鉄《てつ》の欄干《らんかん》も植《う》えられ、木製《もくせい》のきれいなベンチも置《お》いてありました。
「おや、変《へん》なものがあるよ」カムパネルラが、不思議《ふしぎ》そうに立ちどまって、岩《いわ》から黒い細長《ほそなが》いさきのとがったくるみの実《み》のようなものをひろいました。
「くるみの実《み》だよ。そら、たくさんある。流《なが》れて来たんじゃない。岩《いわ》の中にはいってるんだ」
「大きいね、このくるみ、倍《ばい》あるね。こいつはすこしもいたんでない」
「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘《ほ》ってるから」
 二人《ふたり》は、ぎざぎざの黒いくるみの実《み》を持《も》ちながら、またさっきの方へ近よって行きました。左手の渚《なぎさ》には、波《なみ》がやさしい稲妻《いなずま》のように燃《も》えて寄《よ》せ、右手の崖《がけ》には、いちめん銀《ぎん》や貝殻《かいがら》でこさえたようなすすきの穂《ほ》がゆれたのです。
 だんだん近づいて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡《きんがんきょう》をかけ、長靴《ながぐつ》をはいた学者《がくしゃ》らしい人が、手帳《てちょう》に何かせわしそうに書きつけながら、つるはしをふりあげたり、スコップをつかったりしている、三人の助手《じょしゅ》らしい人たちに夢中《むちゅう》でいろいろ指図《さしず》をしていました。
「そこのその突起《とっき》をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くから掘《ほ》って。いけない、いけない、なぜそんな乱暴《らんぼう》をするんだ」
 見ると、その白い柔《やわ》らかな岩《いわ》の中から、大きな大きな青じろい獣《けもの》の骨《ほね》が、横に倒《たお》れてつぶれたというふうになって、半分以上《はんぶんいじょう》掘《ほ》り出されていました。そして気をつけて見ると、そこらには、蹄《ひづめ》の二つある足跡《あしあと》のついた岩《いわ》が、四角《しかく》に十ばかり、きれいに切り取られて番号《ばんごう》がつけられてありました。
「君たちは参観《さんかん》かね」その大学士《だいがくし》らしい人が、眼鏡《めがね》をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
「くるみがたくさんあったろう。それはまあ、ざっと百二十|万年《まんねん》ぐらい前のくるみだよ。ごく新しい方さ。ここは百二十|万年前《まんねんまえ》、第三紀《だいさんき》のあとのころは海岸《かいがん》でね、この下からは貝《かい》がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水《しおみず》が寄《よ》せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこ、つるはしはよしたまえ。ていねいに鑿《のみ》でやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛《うし》の先祖《せんぞ》で、昔《むかし》はたくさんいたのさ」
「標本《ひょうほん》にするんですか」
「いや、証明《しょうめい》するに要《い》るんだ。ぼくらからみると、ここは厚《あつ》い立派《りっぱ》な地層《ちそう》で、百二十|万年《まんねん》ぐらい前にできたという証拠《しょうこ》もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層《ちそう》に見えるかどうか、あるいは風か水や、がらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい、そこもスコップではいけない。そのすぐ下に肋骨《ろっこつ》が埋《う》もれてるはずじゃないか」
 大学士《だいがくし》はあわてて走って行きました。
「もう時間だよ。行こう」カムパネルラが地図と腕時計《うでどけい》とをくらべながら言《い》いました。
「ああ、ではわたくしどもは失礼《しつれい》いたします」ジョバンニは、ていねいに大学士《だいがくし》におじぎしました。
「そうですか。いや、さよなら」大学士《だいがくし》は、また忙《いそが》しそうに、あちこち歩きまわって監督《かんとく》をはじめました。
 二人《ふたり》は、その白い岩《いわ》の上を、一生けん命《めい》汽車におくれないように走りました。そしてほんとうに、風のように走れたのです。息《いき》も切れず膝《ひざ》もあつくなりませんでした。
 こんなにしてかけるなら、もう世界《せかい》じゅうだってかけれると、ジョバンニは思いました。
 そして二人《ふたり》は、前のあの河原《かわら》を通り、改札口《かいさつぐち》の電燈《でんとう》がだんだん大きくなって、まもなく二人《ふたり》は、もとの車室の席《せき》にすわっていま行って来た方を、窓《まど》から見ていました。

     八 鳥を捕《と》る人

「ここへかけてもようございますか」
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