からすうり》のあかりのようだとも思いました。
 そのまっ黒な、松《まつ》や楢《なら》の林を越《こ》えると、にわかにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亙《わた》っているのが見え、また頂《いただき》の、天気輪《てんきりん》の柱《はしら》も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢《ゆめ》の中からでもかおりだしたというように咲《さ》き、鳥が一|疋《ぴき》、丘《おか》の上を鳴き続《つづ》けながら通って行きました。
 ジョバンニは、頂《いただき》の天気輪《てんきりん》の柱《はしら》の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投《な》げました。
 町の灯《あかり》は、暗《やみ》の中をまるで海の底《そこ》のお宮《みや》のけしきのようにともり、子供《こども》らの歌う声や口笛《くちぶえ》、きれぎれの叫《さけ》び声もかすかに聞こえて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘《おか》の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗《あせ》でぬれたシャツもつめたく冷《ひ》やされました。
 野原から汽車の音が聞こえてきました。その小さな列車《れっしゃ》の窓《まど》は一列《いちれつ》小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人《たびびと》が、苹果《りんご》をむいたり、わらったり、いろいろなふうにしていると考えますと、ジョバンニは、もうなんとも言《い》えずかなしくなって、また眼《め》をそらに挙《あ》げました。
[#天から5字下げ](この間|原稿《げんこう》五|枚分《まいぶん》なし)
 ところがいくら見ていても、そのそらは、ひる先生の言《い》ったような、がらんとした冷《つめ》たいとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場《ぼくじょう》やらある野原《のはら》のように考えられてしかたなかったのです。そしてジョバンニは青い琴《こと》の星が、三つにも四つにもなって、ちらちらまたたき、脚《あし》が何べんも出たり引っ込《こ》んだりして、とうとう蕈《きのこ》のように長く延《の》びるのを見ました。またすぐ眼《め》の下のまちまでが、やっぱりぼんやりしたたくさんの星の集《あつ》まりか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。

     六 銀河《ぎんが》ステーション

 そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪《てんきりん》の柱《はしら》がいつかぼんやりした三角標《さんかくひょう》の形になって、しばらく蛍《ほたる》のように、ぺかぺか消《き》えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃《こ》い鋼青《はがね》のそらの野原にたちました。いま新しく灼《や》いたばかりの青い鋼《はがね》の板《いた》のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
 するとどこかで、ふしぎな声が、銀河《ぎんが》ステーション、銀河《ぎんが》ステーションと言《い》う声がしたと思うと、いきなり眼《め》の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万《おくまん》の蛍烏賊《ほたるいか》の火を一ぺんに化石《かせき》させて、そらじゅうに沈《しず》めたというぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫《と》れないふりをして、かくしておいた金剛石《こんごうせき》を、誰《だれ》かがいきなりひっくりかえして、ばらまいたというふうに、眼《め》の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼《め》をこすってしまいました。
 気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗《の》っている小さな列車《れっしゃ》が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道《けいべんてつどう》の、小さな黄いろの電燈《でんとう》のならんだ車室に、窓《まど》から外を見ながらすわっていたのです。車室の中は、青い天鵞絨《ビロード》を張《は》った腰掛《こしか》けが、まるでがらあきで、向《む》こうの鼠《ねずみ》いろのワニスを塗《ぬ》った壁《かべ》には、真鍮《しんちゅう》の大きなぼたんが二つ光っているのでした。
 すぐ前の席《せき》に、ぬれたようにまっ黒な上着《うわぎ》を着た、せいの高い子供《こども》が、窓から頭を出して外を見ているのに気がつきました。そしてそのこどもの肩《かた》のあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰《だれ》だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓《まど》から顔を出そうとしたとき、にわかにその子供《こども》が頭を引っ込《こ》めて、こっちを見ました。
 それはカムパネルラだったのです。ジョバンニが、
 カムパネルラ、きみは前からここにいたの、と言《い》おうと思ったとき、カムパネルラが、
「みんなはね、ずいぶん走ったけれども遅《おく》れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追《お》いつかなかった」と言《い》いました。
 ジョバンニは、
(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出かけたのだ)とおもいながら、
「どこかで待《ま》っていようか」と言《い》いました。するとカムパネルラは、
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎《むか》いにきたんだ」
 カムパネルラは、なぜかそう言《い》いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦《くる》しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘《わす》れたものがあるというような、おかしな気持《きも》ちがしてだまってしまいました。
 ところがカムパネルラは、窓《まど》から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直《なお》って、勢《いきお》いよく言《い》いました。
「ああしまった。ぼく、水筒《すいとう》を忘《わす》れてきた。スケッチ帳《ちょう》も忘《わす》れてきた。けれどかまわない。もうじき白鳥の停車場《ていしゃば》だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛《と》んでいたって、ぼくはきっと見える」
 そして、カムパネルラは、まるい板《いた》のようになった地図《ちず》を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったく、その中に、白くあらわされた天の川の左の岸《きし》に沿《そ》って一|条《じょう》の鉄道線路《てつどうせんろ》が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派《りっぱ》なことは、夜のようにまっ黒な盤《ばん》の上に、一々の停車場《ていしゃば》や三角標《さんかくひょう》、泉水《せんすい》や森が、青や橙《だいだい》や緑《みどり》や、うつくしい光でちりばめられてありました。
 ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図《ちず》はどこで買ったの。黒曜石《こくようせき》でできてるねえ」
 ジョバンニが言《い》いました。
「銀河《ぎんが》ステーションで、もらったんだ。君《きみ》もらわなかったの」
「ああ、ぼく銀河《ぎんが》ステーションを通ったろうか。いまぼくたちのいるとこ、ここだろう」
 ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場《ていしゃば》のしるしの、すぐ北を指《さ》しました。
「そうだ。おや、あの河原《かわら》は月夜だろうか」そっちを見ますと、青白く光る銀河《ぎんが》の岸《きし》に、銀《ぎん》いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波《なみ》を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河《ぎんが》だから光るんだよ」ジョバンニは言《い》いながら、まるではね上がりたいくらい愉快《ゆかい》になって、足をこつこつ鳴らし、窓《まど》から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛《くちぶえ》を吹《ふ》きながら一生けん命《めい》延《の》びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素《すいそ》よりもすきとおって、ときどき眼《め》のかげんか、ちらちら紫《むらさき》いろのこまかな波《なみ》をたてたり、虹《にじ》のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流《なが》れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光《りんこう》の三角標《さんかくひょう》が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙《だいだい》や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、あるいは三角形《さんかくけい》、あるいは四辺形《しへんけい》、あるいは電《いなずま》や鎖《くさり》の形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振《ふ》りました。するとほんとうに、そのきれいな野原《のはら》じゅうの青や橙《だいだい》や、いろいろかがやく三角標《さんかくひょう》も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫《ふる》えたりしました。
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た」ジョバンニは言《い》いました。
「それに、この汽車|石炭《せきたん》をたいていないねえ」ジョバンニが左手をつき出して窓《まど》から前の方を見ながら言《い》いました。
「アルコールか電気だろう」カムパネルラが言《い》いました。
 するとちょうど、それに返事《へんじ》するように、どこか遠くの遠くのもやのもやの中から、セロのようなごうごうした声がきこえて来ました。
「ここの汽車は、スティームや電気でうごいていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ。ごとごと音をたてていると、そうおまえたちは思っているけれども、それはいままで音をたてる汽車にばかりなれているためなのだ」
「あの声、ぼくなんべんもどこかできいた」
「ぼくだって、林の中や川で、何べんも聞いた」
 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点《さんかくてん》の青じろい微光《びこう》の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
「ああ、りんどうの花が咲《さ》いている。もうすっかり秋だねえ」カムパネルラが、窓《まど》の外を指《ゆび》さして言《い》いました。
 線路《せんろ》のへりになったみじかい芝草《しばくさ》の中に、月長石《げっちょうせき》ででも刻《きざ》まれたような、すばらしい紫《むらさき》のりんどうの花が咲《さ》いていました。
「ぼく飛《と》びおりて、あいつをとって、また飛《と》び乗《の》ってみせようか」ジョバンニは胸《むね》をおどらせて言《い》いました。
「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」
 カムパネルラが、そう言《い》ってしまうかしまわないうち、次《つぎ》のりんどうの花が、いっぱいに光って過《す》ぎて行きました。
 と思ったら、もう次《つぎ》から次《つぎ》から、たくさんのきいろな底《そこ》をもったりんどうの花のコップが、湧《わ》くように、雨のように、眼《め》の前を通り、三角標《さんかくひょう》の列《れつ》は、けむるように燃《も》えるように、いよいよ光って立ったのです。

     七 北十字《きたじゅうじ》とプリオシン海岸《かいがん》

「おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか」
 いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、せきこんで言《い》いました。
 ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える橙《だいだい》いろの三角標《さんかくひょう》のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった)と思いながら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸《さいわい》になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸《さいわい》なんだろう」カムパネルラは、なんだか、泣《な》きだしたいのを、一生けん命《めい》こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの」ジョバンニはびっくりして叫《さけ》びました。
「ぼくわからない。
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