銀河鉄道の夜
宮沢賢治
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)言《い》われたり
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|袋《ふくろ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)僕《ぼく》※[#小書き平仮名ん、183−7]とこへ
−−
一 午後の授業
「ではみなさんは、そういうふうに川だと言《い》われたり、乳《ちち》の流《なが》れたあとだと言《い》われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知《しょうち》ですか」先生は、黒板《こくばん》につるした大きな黒い星座《せいざ》の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯《ぎんがたい》のようなところを指《さ》しながら、みんなに問《と》いをかけました。
カムパネルラが手をあげました。それから四、五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急《いそ》いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌《ざっし》で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持《きも》ちがするのでした。
ところが先生は早くもそれを見つけたのでした。
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」
ジョバンニは勢《いきお》いよく立ちあがりましたが、立ってみるともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席《せき》からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた言《い》いました。
「大きな望遠鏡《ぼうえんきょう》で銀河《ぎんが》をよっく調《しら》べると銀河《ぎんが》はだいたい何でしょう」
やっぱり星だとジョバンニは思いましたが、こんどもすぐに答えることができませんでした。
先生はしばらく困《こま》ったようすでしたが、眼《め》をカムパネルラの方へ向《む》けて、
「ではカムパネルラさん」と名指《なざ》しました。
するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上がったままやはり答えができませんでした。
先生は意外《いがい》なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急《いそ》いで、
「では、よし」と言《い》いながら、自分で星図を指《さ》しました。
「このぼんやりと白い銀河《ぎんが》を大きないい望遠鏡《ぼうえんきょう》で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう」
ジョバンニはまっ赤《か》になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼《め》のなかには涙《なみだ》がいっぱいになりました。そうだ僕《ぼく》は知っていたのだ、もちろんカムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士《はかせ》のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌《ざっし》のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌《ざっし》を読むと、すぐお父さんの書斎《しょさい》から巨《おお》きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁《ページ》いっぱいに白に点々《てんてん》のある美《うつく》しい写真《しゃしん》を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘《わす》れるはずもなかったのに、すぐに返事《へんじ》をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午後にも仕事《しごと》がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊《あそ》ばず、カムパネルラともあんまり物を言《い》わないようになったので、カムパネルラがそれを知ってきのどくがってわざと返事《へんじ》をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
先生はまた言《い》いました。
「ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂《すな》や砂利《じゃり》の粒《つぶ》にもあたるわけです。またこれを巨《おお》きな乳《ちち》の流《なが》れと考えるなら、もっと天の川とよく似《に》ています。つまりその星はみな、乳《ちち》のなかにまるで細《こま》かにうかんでいる脂油《あぶら》の球《たま》にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと言《い》いますと、それは真空《しんくう》という光をある速《はや》さで伝《つた》えるもので、太陽《たいよう》や地球《ちきゅう》もやっぱりそのなかに浮《う》かんでいるのです。つまりは私《わたし》どもも天の川の水のなかに棲《す》んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底《そこ》の深《ふか》く遠いところほど星がたくさん集まって見え、したがって白くぼんやり見えるのです。この模型《もけい》をごらんなさい」
先生は中にたくさん光る砂《すな》のつぶのはいった大きな両面《りょうめん》の凸《とつ》レンズを指《さ》しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私《わたし》どもの太陽《たいよう》と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽《たいよう》がこのほぼ中ごろにあって地球《ちきゅう》がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄《うす》いのでわずかの光る粒《つぶ》すなわち星しか見えないでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚《あつ》いので、光る粒《つぶ》すなわち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという、これがつまり今日の銀河《ぎんが》の説《せつ》なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、またその中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次《つぎ》の理科の時間にお話します。では今日はその銀河《ぎんが》のお祭《まつ》りなのですから、みなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい」
そして教室じゅうはしばらく机《つくえ》の蓋《ふた》をあけたりしめたり本を重《かさ》ねたりする音がいっぱいでしたが、まもなくみんなはきちんと立って礼《れい》をすると教室を出ました。
二 活版所《かっぱんじょ》
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭《こうてい》の隅《すみ》の桜《さくら》の木のところに集《あつ》まっていました。それはこんやの星祭《ほしまつ》りに青いあかりをこしらえて川へ流《なが》す烏瓜《からすうり》を取《と》りに行く相談《そうだん》らしかったのです。
けれどもジョバンニは手を大きく振《ふ》ってどしどし学校の門《もん》を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河《ぎんが》の祭《まつ》りにいちいの葉《は》の玉《たま》をつるしたり、ひのきの枝《えだ》にあかりをつけたり、いろいろしたくをしているのでした。
家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲《ま》がってある大きな活版所《かっぱんじょ》にはいって靴《くつ》をぬいで上がりますと、突《つ》き当たりの大きな扉《とびら》をあけました。中にはまだ昼《ひる》なのに電燈《でんとう》がついて、たくさんの輪転機《りんてんき》がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働《はたら》いておりました。
ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子《テーブル》にすわった人の所《ところ》へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚《たな》をさがしてから、
「これだけ拾《ひろ》って行けるかね」と言《い》いながら、一枚の紙切れを渡《わた》しました。ジョバンニはその人の卓子《テーブル》の足もとから一つの小さな平《ひら》たい函《はこ》をとりだして向《む》こうの電燈《でんとう》のたくさんついた、たてかけてある壁《かべ》の隅《すみ》の所《ところ》へしゃがみ込《こ》むと、小さなピンセットでまるで粟粒《あわつぶ》ぐらいの活字《かつじ》を次《つぎ》から次《つぎ》へと拾《ひろ》いはじめました。青い胸《むね》あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、
「よう、虫めがね君《くん》、お早う」と言《い》いますと、近くの四、五人の人たちが声もたてずこっちも向《む》かずに冷《つめ》たくわらいました。
ジョバンニは何べんも眼《め》をぬぐいながら活字《かつじ》をだんだんひろいました。
六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾《ひろ》った活字《かつじ》をいっぱいに入れた平《ひら》たい箱《はこ》をもういちど手にもった紙きれと引き合わせてから、さっきの卓子《テーブル》の人へ持《も》って来ました。その人は黙《だま》ってそれを受《う》け取《と》ってかすかにうなずきました。
ジョバンニはおじぎをすると扉《とびら》をあけて計算台のところに来ました。すると白服《しろふく》を着《き》た人がやっぱりだまって小さな銀貨《ぎんか》を一つジョバンニに渡《わた》しました。ジョバンニはにわかに顔いろがよくなって威勢《いせい》よくおじぎをすると、台の下に置《お》いた鞄《かばん》をもっておもてへ飛《と》びだしました。それから元気よく口笛《くちぶえ》を吹《ふ》きながらパン屋《や》へ寄《よ》ってパンの塊《かたまり》を一つと角砂糖《かくざとう》を一|袋《ふくろ》買いますといちもくさんに走りだしました。
三 家
ジョバンニが勢《いきお》いよく帰って来たのは、ある裏町《うらまち》の小さな家でした。その三つならんだ入口のいちばん左側《ひだりがわ》には空箱《あきばこ》に紫《むらさき》いろのケールやアスパラガスが植《う》えてあって小さな二つの窓《まど》には日覆《ひおお》いがおりたままになっていました。
「お母さん、いま帰ったよ。ぐあい悪《わる》くなかったの」ジョバンニは靴《くつ》をぬぎながら言いました。
「ああ、ジョバンニ、お仕事《しごと》がひどかったろう。今日《きょう》は涼《すず》しくてね。わたしはずうっとぐあいがいいよ」
ジョバンニは玄関《げんかん》を上がって行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室《へや》に白い巾《きれ》をかぶって寝《やす》んでいたのでした。ジョバンニは窓《まど》をあけました。
「お母さん、今日は角砂糖《かくざとう》を買ってきたよ。牛乳《ぎゅうにゅう》に入れてあげようと思って」
「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから」
「お母さん。姉《ねえ》さんはいつ帰ったの」
「ああ、三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね」
「お母さんの牛乳《ぎゅうにゅう》は来ていないんだろうか」
「来なかったろうかねえ」
「ぼく行ってとって来よう」
「ああ、あたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉《ねえ》さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置《お》いて行ったよ」
「ではぼくたべよう」
ジョバンニは[#「 ジョバンニは」は底本では「「ジョバンニは」]窓《まど》のところからトマトの皿《さら》をとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっとまもなく帰ってくると思うよ」
「ああ、あたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの」
「だって今朝《けさ》の新聞に今年は北の方の漁《りょう》はたいへんよかったと書いてあったよ」
「ああだけどねえ、お父さんは漁《りょう》へ出ていないかもしれない」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄《かんごく》へはいるようなそんな悪《わる》いことをしたはずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈《きぞう》した巨《おお》きな蟹《かに》の甲《こう》らだのとなかいの角《つの》だの今だってみんな標本室《ひょうほんしつ》にあるんだ。六年生なんか
次へ
全11ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング