、もう渦《うず》にはいったと思いながらしっかりこの人たちをだいて、それからぼうっとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。この方たちのお母さんは一|昨年《さくねん》没《な》くなられました。ええ、ボートはきっと助《たす》かったにちがいありません、なにせよほど熟練《じゅくれん》な水夫《すいふ》たちが漕《こ》いで、すばやく船からはなれていましたから」
 そこらから小さな嘆息《たんそく》やいのりの声が聞こえジョバンニもカムパネルラもいままで忘《わす》れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼《め》が熱《あつ》くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフィックというのではなかったろうか。その氷山《ひょうざん》の流《なが》れる北のはての海で、小さな船に乗《の》って、風や凍《こお》りつく潮水《しおみず》や、はげしい寒《さむ》さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうにきのどくでそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう)
 ジョバンニは首《くび》をたれて、すっかりふさぎ込《こ》んでしまいました。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進《すす》む中でのできごとなら、峠《とうげ》の上りも下りもみんなほんとうの幸福《こうふく》に近づく一あしずつですから」
 燈台守《とうだいもり》がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至《いた》るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」
 青年が祈《いの》るようにそう答えました。
 そしてあの姉弟《きょうだい》はもうつかれてめいめいぐったり席《せき》によりかかって睡《ねむ》っていました。さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔《やわ》らかな靴《くつ》をはいていたのです。
 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光《りんこう》の川の岸《きし》を進《すす》みました。向《む》こうの方の窓《まど》を見ると、野原はまるで幻燈《げんとう》のようでした。百も千もの大小さまざまの三角標《さんかくひょう》、その大きなものの上には赤い点々をうった測量旗《そくりょうき》も見え、野原《のはら》のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集《あつ》まってぼおっと青白い霧《きり》のよう、そこからか、またはもっと向《む》
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