いたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日《きのう》のあたりです、船が氷山《ひょうざん》にぶっつかって一ぺんに傾《かたむ》きもう沈《しず》みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧《きり》が非常《ひじょう》に深《ふか》かったのです。ところがボートは左舷《さげん》の方|半分《はんぶん》はもうだめになっていましたから、とてもみんなは乗《の》り切らないのです。もうそのうちにも船は沈《しず》みますし、私は必死《ひっし》となって、どうか小さな人たちを乗《の》せてくださいと叫《さけ》びました。近くの人たちはすぐみちを開いて、そして子供たちのために祈《いの》ってくれました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんかいて、とても押《お》しのける勇気《ゆうき》がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助《たす》けするのが私の義務《ぎむ》だと思いましたから前にいる子供らを押《お》しのけようとしました。けれどもまた、そんなにして助《たす》けてあげるよりはこのまま神《かみ》の御前《みまえ》にみんなで行く方が、ほんとうにこの方たちの幸福《こうふく》だとも思いました。それからまた、その神《かみ》にそむく罪《つみ》はわたくしひとりでしょってぜひとも助《たす》けてあげようと思いました。けれども、どうしても見ているとそれができないのでした。子どもらばかりのボートの中へはなしてやって、お母さんが狂気《きょうき》のようにキスを送《おく》りお父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐに立っているなど、とてももう腸《はらわた》もちぎれるようでした。そのうち船はもうずんずん沈《しず》みますから、私たちはかたまって、もうすっかり覚悟《かくご》して、この人たち二人を抱《だ》いて、浮《う》かべるだけは浮《う》かぼうと船の沈《しず》むのを待《ま》っていました。誰《だれ》が投《な》げたかライフヴイが一つ飛《と》んで来ましたけれどもすべってずうっと向《む》こうへ行ってしまいました。私は一生けん命《めい》で甲板《かんぱん》の格子《こうし》になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。どこからともなく三〇六番の声があがりました。たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました。そのときにわかに大きな音がして私たちは水に落《お》ち
前へ
次へ
全55ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング