疑獄元兇
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)告《ごう》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)対|告《ごう》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#感嘆符二つ、1−8−75]
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とにかく向ふは検事の立場、
今の会釈は悪くない。勲績のある上長として、盛名のある君子として、礼を尽した態度であった。
わたしの方も声音から、動作一般自然であった。或ひはかういふ調子でもって、政治の実といふものを、容易に了解するかも知れん。それならわたしは、畢竟党から撰ばれて、若手検事の腕利きといふ この青年を対|告《ごう》に、社会一般教育のため、こゝへ来たとも云ひ得やう。
いかなる明文制裁と雖ど、それが布かるゝ社会に於て、遵守し得ざるに至ったときは、その法既に悪法である、それが判らん筈もない。だが何のため、向ふは壇をのぼるのだ。整然として椅子を引いて、眼平らにこっちを見る。
卓に両手を副へてゐる。正に上司の儀容であるが、勿論職権止むを得まい。たゞもう明るく話して来ればいゝのである。しかし……物言ふけはひでない。厳しく口を結んでゐる。頬は烈しい決意を示す。
わしは冷然無視したものか、気を盛り眼を明にして、これに備へをしたものか。あゝ失策だ! 出発点で! 何たる拙《まず》いこの狼〔狽〕! すっかり羂《〔わな〕》に陥《は》まったのだ。向ふは平然この動揺を看取する。早く自然を取り戻さう。一秒遅れゝば一秒の敗、山を想はう。建仁寺、いや、徳玄寺、いけない、さうだ 清源寺! 清源寺裏山の栗林《りつりん》! 以て木突《ぼくとつ》となすこと勿れ、汝喚んで何とかなす! にい※[#感嘆符二つ、1−8−75] もう平心だ。よろしいとも、やって来い。生きた世間といふものは、たゞもう濁った大きな川だ。わたしはそれを阻せんのだ。悠揚としてこれに準じて流れるのだ。時には清波も来つて涵す。それを歓び楽しむことで、わしは人后に落ちはせん。しかし畢竟大江である。徒して渡れる小渓でない。その実際に立脚せんで、人の裁きはできんのだ。咄! 何たる非礼のその直視!
断じてわしも譲歩せん。森々と青いこの対立、
[#天から4字下げ]森々と…森々と……森森と青い………
……
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