貝《かい》の火
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)貝《かい》の火

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一生|満足《まんぞく》に
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 今は兎《うさぎ》たちは、みんなみじかい茶色の着物《きもの》です。
 野原《のはら》の草はきらきら光り、あちこちの樺《かば》の木は白い花をつけました。
 実《じつ》に野原《のはら》はいいにおいでいっぱいです。
 子兎《こうさぎ》のホモイは、悦《よろこ》んでぴんぴん踊《おど》りながら申《もう》しました。
 「ふん、いいにおいだなあ。うまいぞ、うまいぞ、鈴蘭《すずらん》なんかまるでパリパリだ」
 風が来たので鈴蘭《すずらん》は、葉《は》や花を互《たが》いにぶっつけて、しゃりんしゃりんと鳴りました。
 ホモイはもううれしくて、息《いき》もつかずにぴょんぴょん草の上をかけ出しました。
 それからホモイはちょっと立ちどまって、腕《うで》を組んでほくほくしながら、
 「まるで僕《ぼく》は川の波《なみ》の上で芸当《げいとう》をしているようだぞ」と言《い》いました。
 本当にホモイは、いつか小さな流《なが》れの岸《きし》まで来ておりました。
 そこには冷《つめ》たい水がこぼんこぼんと音をたて、底《そこ》の砂《すな》がピカピカ光っています。
 ホモイはちょっと頭を曲《ま》げて、
 「この川を向《む》こうへ跳《と》び越《こ》えてやろうかな。なあに訳《わけ》ないさ。けれども川の向《む》こう側《がわ》は、どうも草が悪《わる》いからね」とひとりごとを言《い》いました。
 すると不意《ふい》に流《なが》れの上《かみ》の方から、
 「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ、ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ」とけたたましい声がして、うす黒いもじゃもじゃした鳥のような形のものが、ばたばたばたばたもがきながら、流《なが》れて参《まい》りました。
 ホモイは急《いそ》いで岸《きし》にかけよって、じっと待《ま》ちかまえました。
 流《なが》されるのは、たしかにやせたひばりの子供《こども》です。ホモイはいきなり水の中に飛《と》び込《こ》んで、前あしでしっかりそれをつかまえました。
 するとそのひばりの子供《こども》は、いよいよびっくりして、黄色なくちばしを大きくあけて、まるでホモイのお耳もつんぼになるくらい鳴くのです。
 ホモイはあわてて一生けん命《めい》、あとあしで水をけりました。そして、
 「大丈夫《だいじょうぶ》さ、 大丈夫《だいじょうぶ》さ」と言《い》いながら、その子の顔を見ますと、ホモイはぎょっとしてあぶなく手をはなしそうになりました。それは顔じゅうしわだらけで、くちばしが大きくて、おまけにどこかとかげに似《に》ているのです。
 けれどもこの強い兎《うさぎ》の子は、決《けっ》してその手をはなしませんでした。怖《おそ》ろしさに口をへの字にしながらも、それをしっかりおさえて、高く水の上にさしあげたのです。
 そして二人は、どんどん流《なが》されました。ホモイは二度ほど波《なみ》をかぶったので、水をよほどのみました。それでもその鳥の子ははなしませんでした。
 するとちょうど、小流《こなが》れの曲《ま》がりかどに、一本の小さな楊《やなぎ》の枝《えだ》が出て、水をピチャピチャたたいておりました。
 ホモイはいきなりその枝《えだ》に、青い皮《かわ》の見えるくらい深《ふか》くかみつきました。そして力いっぱいにひばりの子を岸《きし》の柔《やわ》らかな草の上に投《な》げあげて、自分も一とびにはね上がりました。
 ひばりの子は草の上に倒《たお》れて、目を白くしてガタガタ顫《ふる》えています。
 ホモイも疲《つか》れでよろよろしましたが、無理《むり》にこらえて、楊《やなぎ》の白い花をむしって来て、ひばりの子にかぶせてやりました。ひばりの子は、ありがとうと言《い》うようにその鼠色《ねずみいろ》の顔をあげました。
 ホモイはそれを見るとぞっとして、いきなり跳《と》び退《の》きました。そして声をたてて逃《に》げました。
 その時、空からヒュウと矢《や》のように降《お》りて来たものがあります。ホモイは立ちどまって、ふりかえって見ると、それは母親のひばりでした。母親のひばりは、物《もの》も言《い》えずにぶるぶる顫《ふる》えながら、子供《こども》のひばりを強く強く抱《だ》いてやりました。
 ホモイはもう大丈夫《だいじょうぶ》と思ったので、いちもくさんにおとうさんのお家《うち》へ走って帰りました。
 兎《うさぎ》のお母さんは、ちょうど、お家で白い草の束《たば》をそろえておりましたが、ホモイを見てびっくりしました。そして、
 「おや、どうかしたのかい。たいへん顔色が悪《わる》いよ」と言《い》いながら棚《たな》から薬《くすり》の箱《はこ》をおろしました。
 「おっかさん、僕《ぼく》ね、もじゃもじゃの鳥の子のおぼれるのを助《たす》けたんです」とホモイが言《い》いました。
 兎《うさぎ》のお母さんは箱《はこ》から万能散《まんのうさん》を一服《いっぷく》出してホモイに渡《わた》して、
 「もじゃもじゃの鳥の子って、ひばりかい」と尋《たず》ねました。
 ホモイは薬《くすり》を受《う》けとって、
 「たぶんひばりでしょう。ああ頭がぐるぐるする。おっかさん、まわりが変《へん》に見《み》えるよ」と言《い》いながら、そのままバッタリ倒《たお》れてしまいました。ひどい熱病《ねつびょう》にかかったのです。
       *
 ホモイが、おとうさんやおっかさんや、兎《うさぎ》のお医者《いしゃ》さんのおかげで、すっかりよくなったのは、鈴蘭《すずらん》にみんな青い実《み》ができたころでした。
 ホモイは、ある雲のない静《しず》かな晩《ばん》、はじめてうちからちょっと出てみました。
 南の空を、赤い星がしきりにななめに走りました。ホモイはうっとりそれを見とれました。すると不意《ふい》に、空でブルルッとはねの音がして、二|疋《ひき》の小鳥が降《お》りて参《まい》りました。
 大きい方は、まるい赤い光るものを大事《だいじ》そうに草におろして、うやうやしく手をついて申《もう》しました。
 「ホモイさま。あなたさまは私《わたし》ども親子の大恩人《だいおんじん》でございます」
 ホモイは、その赤いものの光で、よくその顔を見て言《い》いました。
 「あなた方は先頃《せんころ》のひばりさんですか」
 母親のひばりは、
 「さようでございます。先日はまことにありがとうございました。せがれの命《いのち》をお助《たす》けくださいましてまことにありがとう存《ぞん》じます。あなた様《さま》はそのために、ご病気《びょうき》にさえおなりになったとの事でございましたが、もうおよろしゅうございますか」
 親子のひばりは、たくさんおじぎをしてまた申《もう》しました。
 「私どもは毎日この辺《へん》を飛《と》びめぐりまして、あなたさまの外へお出なさいますのをお待《ま》ちいたしておりました。これは私どもの王からの贈物《おくりもの》でございます」と言《い》ながら、ひばりはさっきの赤い光るものをホモイの前に出して、薄《うす》いうすいけむりのようなはんけちを解《と》きました。それはとちの実《み》ぐらいあるまんまるの玉で、中では赤い火がちらちら燃《も》えているのです。
 ひばりの母親がまた申《もう》しました。
 「これは貝《かい》の火という宝珠《ほうじゅ》でございます。王さまのお言伝《ことづて》ではあなた様《さま》のお手入れしだいで、この珠《たま》はどんなにでも立派《りっぱ》になると申《もう》します。どうかお納《おさ》めをねがいます」
 ホモイは笑《わら》って言《い》いました。
 「ひばりさん、僕《ぼく》はこんなものいりませんよ。持《も》って行ってください。たいへんきれいなもんですから、見るだけでたくさんです。見たくなったら、またあなたの所《ところ》へ行きましょう」
 ひばりが申《もう》しました。
 「いいえ。それはどうかお納《おさ》めをねがいます。私どもの王からの贈物《おくりもの》でございますから。お納《おさ》めくださらないと、また私はせがれと二人で切腹《せっぷく》をしないとなりません。さ、せがれ。お暇《いとま》をして。さ。おじぎ。ご免《めん》くださいませ」
 そしてひばりの親子は二、三|遍《べん》お辞儀《じぎ》をして、あわてて飛《と》んで行ってしまいました。
 ホモイは玉を取りあげて見ました。玉は赤や黄の焔《ほのお》をあげて、せわしくせわしく燃《も》えているように見えますが、実《じつ》はやはり冷《つめ》たく美《うつく》しく澄《す》んでいるのです。目にあてて空にすかして見ると、もう焔《ほのお》はなく、天の川が奇麗《きれい》にすきとおっています。目からはなすと、またちらりちらり美《うつく》しい火が燃《も》えだします。
 ホモイはそっと玉をささげて、おうちへはいりました。そしてすぐお父さんに見せました。すると兎《うさぎ》のお父さんが玉を手にとって、めがねをはずしてよく調《しら》べてから申《もう》しました。
 「これは有名《ゆうめい》な貝《かい》の火という宝物《たからもの》だ。これは大変《たいへん》な玉だぞ。これをこのまま一生|満足《まんぞく》に持《も》っている事《こと》のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだという話だ。お前はよく気をつけて光をなくさないようにするんだぞ」
 ホモイが申《もう》しました。
 「それは大丈夫《だいじょうぶ》ですよ。僕《ぼく》は決《けっ》してなくしませんよ。そんなようなことは、ひばりも言《い》っていました。僕《ぼく》は毎日百|遍《ぺん》ずつ息《いき》をふきかけて百|遍《ぺん》ずつ紅雀《べにすずめ》の毛でみがいてやりましょう」
 兎《うさぎ》のおっかさんも、玉を手にとってよくよくながめました。そして言《い》いました。
 「この玉はたいへん損《そん》じやすいという事です。けれども、また亡《な》くなった鷲《わし》の大臣《だいじん》が持《も》っていた時は、大噴火《だいふんか》があって大臣《だいじん》が鳥の避難《ひなん》のために、あちこちさしずをして歩いている間に、この玉が山ほどある石に打《う》たれたり、まっかな熔岩《ようがん》に流《なが》されたりしても、いっこうきずも曇《くも》りもつかないでかえって前よりも美《うつく》しくなったという話ですよ」
 兎《うさぎ》のおとうさんが申《もう》しました。
 「そうだ。それは名高いはなしだ。お前もきっと鷲《わし》の大臣《だいじん》のような名高い人になるだろう。よくいじわるなんかしないように気をつけないといけないぞ」
 ホモイはつかれてねむくなりました。そして自分のお床《とこ》にコロリと横《よこ》になって言《い》いました。
 「大丈夫《だいじょうぶ》だよ。僕《ぼく》なんかきっと立派《りっぱ》にやるよ。玉は僕《ぼく》持《も》って寝《ね》るんだからください」
 兎《うさぎ》のおっかさんは玉を渡《わた》しました。ホモイはそれを胸《むね》にあててすぐねむってしまいました。
 その晩《ばん》の夢《ゆめ》の奇麗《きれい》なことは、黄や緑《みどり》の火が空で燃《も》えたり、野原《のはら》が一面《いちめん》黄金《きん》の草に変《かわ》ったり、たくさんの小さな風車が蜂《はち》のようにかすかにうなって空中を飛《と》んであるいたり、仁義《じんぎ》をそなえた鷲《わし》の大臣《だいじん》が、銀色《ぎんいろ》のマントをきらきら波立《なみだ》てて野原《のはら》を見まわったり、ホモイはうれしさに何遍《なんべん》も、
 「ホウ。やってるぞ、やってるぞ」と声をあげたくらいです。
       *
 あくる朝、ホモイは七時ごろ目をさまして、まず第一《だいいち》に玉を見ました。玉の美《うつく》しいことは、昨夜《ゆうべ》よりもっとです。ホモイは玉をのぞいて、ひとりごとを言《い》いました。
 「見える、見える。あそこが噴火口《ふんかこう》だ
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