杏やすももの白い花が咲《さ》き、次《つい》では木立《こだち》も草地もまっ青《さお》になり、もはや玉髄《ぎょくずい》の雲の峯《みね》が、四方の空を繞《めぐ》る頃《ころ》となりました。
ちょうどそのころ沙車の町はずれの砂《すな》の中から、古い沙車大寺のあとが掘《ほ》り出されたとのことでございました。一つの壁《かべ》がまだそのままで見附けられ、そこには三人の天童子が描《えが》かれ、ことにその一人はまるで生きたようだとみんなが評判《ひょうばん》しましたそうです。或るよく晴れた日、須利耶さまは都に出られ、童子の師匠《ししょう》を訪ねて色々|礼《れい》を述《の》べ、また三巻《みまき》の粗布を贈り、それから半日、童子を連れて歩きたいと申されました。
お二人は雑沓《ざっとう》の通りを過ぎて行かれました。
須利耶さまが歩きながら、何気《なにげ》なく云われますには、
(どうだ、今日の空の碧《あお》いことは、お前がたの年は、丁度《ちょうど》今あのそらへ飛びあがろうとして羽をばたばた云わせているようなものだ。)
童子が大へんに沈《しず》んで答えられました。
(お父さん。私はお父さんとはなれてどこへも行
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