さまが愕ろかれます。どうしたのだろう行ってみろ、と須利耶さまも気づかわれます。そこで須利耶の奥さまは戸口にお立ちになりましたら童子はもう泣きやんで笑っていられましたとそんなことも申し伝《つた》えます。
 またある時、須利耶さまは童子をつれて、馬市《うまいち》の中を通られましたら、一疋の仔馬《こうま》が乳《ちち》を呑《の》んでおったと申します。黒い粗布《あらぬの》を着た馬商人《うましょうにん》が来て、仔馬を引きはなしもう一疋の仔馬に結びつけ、そして黙《だま》ってそれを引いて行こうと致《いた》しまする。母親の馬はびっくりして高く鳴きました。なれども仔馬はぐんぐん連れて行かれまする。向うの角《かど》を曲《まが》ろうとして、仔馬は急《いそ》いで後肢《あとあし》を一方あげて、腹《はら》の蝿《はえ》を叩《たた》きました。
 童子は母馬の茶いろな瞳を、ちらっと横眼《よこめ》で見られましたが、俄かに須利耶さまにすがりついて泣き出されました。けれども須利耶さまはお叱《しか》りなさいませんでした。ご自分の袖《そで》で童子の頭をつつむようにして、馬市を通りすぎてから河岸《かわぎし》の青い草の上に童子を座《すわ》らせて杏《あんず》の実《み》を出しておやりになりながら、しずかにおたずねなさいました。
(お前はさっきどうして泣いたの。)
(だってお父さん。みんなが仔馬をむりに連れて行くんだもの。)
(馬は仕方《しかた》ない。もう大きくなったからこれから独《ひと》りで働《はた》らくんだ。)
(あの馬はまだ乳を呑んでいたよ。)
(それはそばに置いてはいつまでも甘《あま》えるから仕方ない。)
(だってお父さん。みんながあのお母さんの馬にも子供の馬にもあとで荷物を一杯つけてひどい山を連れて行くんだ。それから食べ物がなくなると殺《ころ》して食べてしまうんだろう。)
 須利耶さまは何気《なにげ》ないふうで、そんな成人《おとな》のようなことを云うもんじゃないとは仰っしゃいましたが、本統《ほんとう》は少しその天の子供が恐《おそ》ろしくもお思いでしたと、まあそう申し伝えます。
 須利耶さまは童子を十二のとき、少し離《はな》れた首都《しゅと》のある外道《げどう》[※4]の塾《じゅく》にお入れなさいました。
 童子の母さまは、一生けん命機を織って、塾料《じゅくりょう》や小遣《こづか》いやらを拵《こし》らえてお送りな
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