》らかな白いものが、だんだん拡《ひろ》がって恐ろしい大きな箱になったりするのでございました。母さまはその額《ひたい》が余り熱いといって心配《しんぱい》なさいました。須利耶さまは写《うつ》しかけの経文《きょうもん》に、掌《て》を合せて立ちあがられ、それから童子さまを立たせて、紅革《べにがわ》の帯を結《むす》んでやり表へ連れてお出になりました。駅《えき》のどの家ももう戸を閉《し》めてしまって、一面《いちめん》の星の下に、棟々《むねむね》が黒く列《なら》びました。その時童子はふと水の流れる音を聞かれました。そしてしばらく考えてから、
(お父さん、水は夜でも流れるのですか。)とお尋《たず》ねです。須利耶さまは沙漠の向うから昇って来た大きな青い星を眺めながらお答えなされます。
(水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも、平《たい》らな所でさえなかったら、いつまでもいつまでも流れるのだ。)
童子の脳は急《きゅう》にすっかり静《しず》まって、そして今度は早く母さまの処にお帰りなりとうなりまする。
(お父さん。もう帰ろうよ。)と申されながら須利耶さまの袂《たもと》を引っ張《ぱ》りなさいます。お二人は家に入り、母さまが迎《むか》えなされて戸の環を嵌《は》めておられますうちに、童子はいつかご自分の床に登って、着換えもせずにぐっすり眠ってしまわれました。
また次のようなことも申します。
ある日須利耶さまは童子と食卓《しょくたく》にお座《すわ》りなさいました。食品の中に、蜜《みつ》で煮《に》た二つの鮒《ふな》がございました。須利耶の奥さまは、一つを須利耶さまの前に置かれ、一つを童子にお与《あた》えなされました。
(喰《た》べたくないよおっかさん。)童子が申されました。(おいしいのだよ。どれ、箸《はし》をお貸《か》し。)
須利耶の奥さまは童子の箸をとって、魚を小さく砕《くだ》きながら、(さあおあがり、おいしいよ。)と勧《すす》められます。童子は母さまの魚を砕く間、じっとその横顔を見ていられましたが、俄かに胸が変な工合《ぐあい》に迫《せま》ってきて気の毒《どく》なような悲しいような何とも堪《たま》らなくなりました。くるっと立って鉄砲玉《てっぽうだま》のように外へ走って出られました。そしてまっ白な雲の一杯に充《み》ちた空に向って、大きな声で泣き出しました。まあどうしたのでしょう、と須利耶の奥
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