化物丁場
宮沢賢治
−−−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)黄金《きん》の
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)割合|空《す》いて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)するん[#「ん」は小書き]だ、
−−−−
五六日続いた雨の、やっとあがった朝でした。黄金《きん》の日光が、青い木や稲を、照してはゐましたが、空には、方角の決まらない雲がふらふら飛び、山脈も非常に近く見えて、なんだかまだほんたうに霽《は》れたといふやうな気がしませんでした。
私は、西の仙人《せんにん》鉱山に、小さな用事がありましたので、黒沢尻《くろさはじり》で、軽便鉄道に乗りかへました。
車室の中は、割合|空《す》いて居《を》りました。それでもやっぱり二十人ぐらゐはあったでせう。がやがや話して居りました。私のあとから入って来た人もありました。
話はここでも、本線の方と同じやうに、昨日までの雨と洪水の噂《うはさ》でした。大抵南の方のことでした。狐禅寺《こぜんじ》では、北上《きたかみ》川が一丈六尺増したと誰《たれ》かが云ひました。宮城の品井沼の岸では、稲がもう四日も泥水を被《かぶ》ってゐる、どうしても今年はあの辺は半作だらうと又誰か言ってゐました。
ところが私のうしろの席で、突然太い強い声がしました。
「雫石《しづくいし》、橋場間、まるで滅茶苦茶だ。レールが四間も突き出されてゐる。枕木《まくらぎ》も何もでこぼこだ。十日や十五日でぁ、一寸《ちょっと》六《むつ》ヶ敷《し》ぃな。」
ははあ、あの化物丁場だな、私は思ひながら、急いでそっちを振り向きました。その人は線路工夫の半纒《はんてん》を着て、鍔《つば》の広い麦藁《むぎわら》帽を、上の棚《たな》に載せながら、誰に云《い》ふとなく大きな声でさう言ってゐたのです。
「あゝ、あの化物丁場ですか、壊れたのは。」私は頭を半分そっちへ向けて、笑ひながら尋ねました。鉄道工夫の人はちらっと私を見てすぐ笑ひました。
「さうです。どうして知ってゐますか。」少し改った兵隊口調で尋ねました。
「はあ、なあに、あの頃《ころ》一寸あすこらを歩いたもんですから。今度は大分ひどくやられましたか。」
「やられました。」その人はやっと席へ腰をおろしながら答へました。
「やっぱり今でも化物だって云ひますか。」
「うんは。」その人は大へん曖昧《あいまい》な調子で答へました。これが、私を、どうしても、もっと詳しく化物丁場の噂を聴きたくしたのです。そこで私は、向ふに話をやめてしまはれない為《ため》に、又少し遠まはりのことから話し掛けました。
「鉄道院へ渡してから、壊れたのは今度始めてですか。」
「はあ、鉄道院でも大損す。」
「渡す前にも三四度壊れたんですね。」
「はあ、大きなのは三度です。」
「請負の方でも余程の損だったでせう。」
「はあ、やっぱり損だってました。あゝ云ふ難渋な処《ところ》にぶっつかっては全く損するより仕方ありません。」
「どうしてさう度々壊れたでせう。」
「なあに、私ぁ行ってから二度崩れましたが雨降るど崩れるんだ。さうだがらって水の為でもないんだ、全くをかしいです。」
「あなたも行って働いてゐたのですか。」
「私の行ったのは十一月でしたが、丁度砂利を盛って、そいつが崩れたばかりの処でした。全体、あれは請負の岩間組の技師が少し急いだんです。ああ云ふ場所だがら思ひ切って下の岩からコンクリー使へば善かったんです。それでもやっぱり崩れたかも知れませんが。」
「大した谷川も無かったやうでしたがね。」
「いゝえ、水は、いくらか、下の岩からも、横の山の崖《がけ》からも、湧《わ》くんです。土も黒くてしめってゐたのです。その土の上に、すぐ砂利を盛りましたから、一層いけなかったのです。」
その時汽笛が鳴って汽車は発《た》ちました。私は行手の青く光ってゐる仙人《せんにん》の峡を眺《なが》め、それからふと空を見て、思はず、こいつはひどい、と、つぶやきました。雲が下の方と上の方と、すっかり反対に矢のやうに馳《は》せちがってゐたのです。
「また嵐《あらし》になりますよ。風がまったく変です。」私は工夫に云ひました。
その人も一寸《ちょっと》立って窓から顔を出してそれから、
「まだまだ降ります、今日は一寸あらしの日曜といふ訳だ。」と、つぶやくやうに云ひながら、又席に戻りました。電信柱の瀬戸の碍子《がいし》が、きらっと光ったり、青く葉をゆすりながら楊《やなぎ》がだんだんめぐったり、汽車は丁度|黒沢尻《くろさはじり》の町をはなれて、まっすぐに西の方へ走りました。
「でその崩れた砂利を、あなたも積み直したのですか。」
「さうです。」その人は笑ひました。たしかにこの人は化物丁場の話をするのが
次へ
全4ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング