、ポンデローザを見ることならもうほんとうにすきなんだ。ある年やっぱり苗《なえ》が二いろあったから、植えたあとでも二いろあった。だんだんそれが大きくなって、葉からはトマトの青いにおいがし、茎《くき》からはこまかな黄金《きん》の粒《つぶ》のようなものも噴《ふ》き出した。
 そしてまもなく実がついた。
 ところが五本のチェリーの中で、一本だけは奇体《きたい》に黄いろなんだろう。そして大へん光るのだ。ギザギザの青黒い葉の間から、まばゆいくらい黄いろなトマトがのぞいているのは立派だった。だからネリが云《い》った。
『にいさま、あのトマトどうしてあんなに光るんでしょうね。』
 ペムペルは唇《くちびる》に指をあててしばらく考えてから答えていた。
『黄金《きん》だよ。黄金だからあんなに光るんだ。』
『まあ、あれ黄金なの。』ネリがすこしびっくりしたように云った。
『立派だねえ。』
『ええ立派だわ。』
 そして二人はもちろん、その黄いろなトマトをとりもしなけぁ、一寸《ちょっと》さわりもしなかった。
 そしたらほんとうにかあいそうなことをしたねえ。」
「だからどうしたって云うの。」
「だからね、二人はこんなに楽しくくらしていたんだからそれだけならばよかったんだよ。ところがある夕方二人が羊歯《しだ》の葉に水をかけてたら、遠くの遠くの野はらの方から何とも云えない奇体ないい音が風に吹《ふ》き飛ばされて聞えて来るんだ。まるでまるでいい音なんだ。切れ切れになって飛んでは来るけれど、まるですずらんやヘリオトロープのいいかおりさえするんだろう、その音がだよ。二人は如露《じょろ》の手をやめて、しばらくだまって顔を見合せたねえ、それからペムペルが云った。
『ね、行って見ようよ、あんなにいい音がするんだもの。』
 ネリは勿論《もちろん》、もっと行きたくってたまらないんだ。
『行きましょう、兄さま、すぐ行きましょう。』
『うん、すぐ行こう。大丈夫《だいじょうぶ》あぶないことないね。』
 そこで二人は手をつないで果樹園を出てどんどんそっちへ走って行った。
 音はよっぽど遠かった。樺《かば》の木の生えた小山を二つ越《こ》えてもまだそれほどに近くもならず、楊《やなぎ》の生えた小流れを三つ越えてもなかなかそんなに近くはならなかった。
 それでもいくらか近くはなった。
 二人が二本の榧《かや》の木のアーチになった下を潜《くぐ》ったら不思議な音はもう切れ切れじゃなくなった。
 そこで二人は元気を出して上着の袖《そで》で汗《あせ》をふきふきかけて行った。
 そのうち音はもっとはっきりして来たのだ。ひょろひょろした笛《ふえ》の音も入っていたし、大喇叭《おおらっぱ》のどなり声もきこえた。ぼくにはみんなわかって来たのだよ。
『ネリ、もう少しだよ、しっかり僕《ぼく》につかまっておいで。』
 ネリはだまってきれで包んだ小さな卵形の頭を振って、唇を噛《か》んで走った。
 二人がも一度、樺の木の生えた丘《おか》をまわったとき、いきなり眼《め》の前に白いほこりのぼやぼや立った大きな道が、横になっているのを見た。その右の方から、さっきの音がはっきり聞え、左の方からもう一団《ひとかたま》り、白いほこりがこっちの方へやって来る。ほこりの中から、チラチラ馬の足が光った。
 間もなくそれは近づいたのだ。ペムペルとネリとは、手をにぎり合って、息をこらしてそれを見た。
 もちろん僕もそれを見た。
 やって来たのは七人ばかりの馬乗りなのだ。
 馬は汗をかいて黒く光り、鼻からふうふう息をつき、しずかにだくをやっていた。乗ってるものはみな赤シャツで、てかてか光る赤革《あかかわ》の長靴《ながぐつ》をはき、帽子《ぼうし》には鷺《さぎ》の毛やなにか、白いひらひらするものをつけていた。鬚《ひげ》をはやしたおとなも居れば、いちばんしまいにはペムペル位の頬《ほほ》のまっかな眼のまっ黒なかあいい子も居た。ほこりの為にお日さまはぼんやり赤くなった。
 おとなはみんなペムペルとネリなどは見ない風して行ったけれど、いちばんしまいのあのかあいい子は、ペムペルを見て一寸《ちょっと》唇に指をあててキスを送ったんだ。
 そしてみんなは通り過ぎたのだ。みんなの行った方から、あのいい音がいよいよはっきり聞えて来た。まもなくみんなは向うの丘をまわって見えなくなったが、左の方から又《また》誰《たれ》かゆっくりやって来るのだ。
 それは小さな家ぐらいある白い四角の箱《はこ》のようなもので、人が四五人ついて来た。だんだん近くになって見ると、ついて居るのはみんな黒ん坊で、眼ばかりぎらぎら光らして、ふんどしだけして裸足《はだし》だろう。白い四角なものを囲んで来たのだけれど、その白いのは箱じゃなかった。実は白いきれを四方にさげた、日本の蚊帳《かや》のようなもんで、
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