。わなにはいろいろありますけれども、一番こわいのは、いかにもわなのような形をしたわなです。それもごく仕掛《しか》けの下手なわなです。これを人間の方から云いますと、わなにもいろいろあるけれども、一番狐のよく捕《と》れるわなは、昔《むかし》からの狐わなだ、いかにも狐を捕るのだぞというような格好をした、昔からの狐わなだと、斯《こ》う云うわけです。正直は最良の方便、全くこの通りです。」
 私は何だか修身にしても変だし頭がぐらぐらして来たのでしたが、この時さっき校長が修身と護身とが今学年から一科目になって、多分その方が結果がいいだろうと云ったことを思い出して、ははあ、なるほどと、うなずきました。
 先生は
「武巣《たけす》さん、立って校長室へ行ってわなの標本を運んで来て下さい。」と云いましたら、一番前の私の近くに居た赤いチョッキを着たかあいらしい狐の生徒が、
「はいっ。」と云って、立って、私たちに一寸挨拶し、それからす早く茨《いばら》の壁の出口から出て行きました。
 先生はその間|黙《だま》って待っていました。生徒も黙っていました。空はその時白い雲で一杯《いっぱい》になり、太陽はその向うを銀の円鏡のようになって走り、風は吹《ふ》いて来て、その緑いろの壁はところどころゆれました。
 武巣という子がまるで息をはあはあして入って来ました。さっき校長室のガラス戸棚《とだな》の中に入っていた、わなの標本を五つとも持って来たのです。それを先生の机の上に置いてしまうと、その子は席に戻《もど》り、先生はその一つを手にとりあげました。
「これはアメリカ製でホックスキャッチャーと云います。ニッケル鍍金《めっき》でこんなにぴかぴか光っています。ここの環《わ》の所へ足を入れるとピチンと環がしまって、もうとれなくなるのです。もちろんこの器械は鎖《くさり》か何かで太い木にしばり付けてありますから、実際|一遍《いっぺん》足をとられたらもうそれきりです。けれども誰《たれ》だってこんなピカピカした変なものにわざと足を入れては見ないのです。」
 狐の生徒たちはどっと笑いました。狐の校長さんも笑いました。狐の先生も笑いました。私も思わず笑いました。このわなの絵は外国でも日本でも種苗《しゅびょう》目録のおしまいあたりにはきっとついていて、然《しか》も効力もあるというのにどう云うわけか一寸不思議にも思いました。
 この時校長さんは、かくしから時計を出して一寸見ました。そこで私は、これはもうだんだん時間がたつから、次の教室を案内しようかと云うのだろうと思って、ちょっとからだを動かして見せました。校長さんはそこですっと室《へや》を出ました。私もついて出ました。
「第二教室、第二年級、担任、武池清二郎」とした黒塗りの板の下がった教室に入りました。先生はさっき運動場であった人でした。生徒も立って一ぺんに礼をしました。
 先生はすぐ前からの続きを講義しました。
「そこで、澱粉《でんぷん》と脂肪《しぼう》と蛋白質《たんぱくしつ》と、この成分の大事なことはよくおわかりになったでしょう。
 こんどはどんなたべものに、この三つの成分がどんな工合《ぐあい》に入っているか、それを云います。凡《およ》そ、食物の中で、滋養《じよう》に富みそしておいしく、また見掛けも大へん立派なものは鶏《にわとり》です。鶏は実際食物中の王と呼ばれる通りです。今鶏の肉の成分の分析表《ぶんせきひょう》をあげましょう。みなさん帳面へ書いて下さい。
 蛋白質は十八ポイント五パアセント、脂肪は九ポイント三パーセント、含水炭素《がんすいたんそ》は一ポイント二パーセントもあるのです。鶏の肉はただこのように滋養に富むばかりでなく消化もたいへんいいのです。殊《こと》に若い鶏の肉ならば、もうほんとうに軟《やわら》かでおいしいことと云ったら、」先生は一寸《ちょっと》唾《つば》をのみました、「とてもお話ではわかりません。食べたことのある方はおわかりでしょう。」
 生徒はしばらくしんとしました。校長さんもじっと床《ゆか》を見つめて考えています。先生ははんけちを出して奇麗《きれい》に口のまわりを拭《ふ》いてから又云いました。
「で一般に、この鶏の肉に限らず、鳥の肉には私たちの脳神経を養うに一番大事な燐《りん》がたくさんあるのです。」
 こんなことは女学校の家事の本に書いてあることだ、やっぱり仲々程度が高い、ばかにできないと私は思いました。先生は又つづけます。
「その鶏の卵も大へんいいのです。成分は鶏の肉より蛋白質は少し少く、脂肪は少し多いのです。これは病人もよく使います。それから次は油揚《あぶらあげ》です。油揚は昔は大へん供給が充分《じゅうぶん》だったのですけれども、今はどうもそんなじゃありません。それで、実はこれは廃《すた》れた食物であります。成分は蛋白質が二二パアセント、脂肪が十八ポイント七パアセント、含水炭素が零《ゼロ》ポイント九パアセントですが、これは只今《ただいま》ではあんまり重要じゃありません。油揚の代りに近頃《ちかごろ》盛《さか》んになったのは玉蜀黍《とうもろこし》です。これはけれども消化はあんまりよくありません。」
「時間がも少しですから、次の教室をご案内いたしましょう。」校長がそっと私にささやきました。そこで私はうなずき校長は先に立って室《へや》を出ました。
「第三教室は向うの端《はし》になって居ります。」校長は云いながら廊下《ろうか》をどんどん戻りました。さっきの第一教室の横を通り玄関《げんかん》を越《こ》え校長室と教員室の横を通ったそこが第三教室で、「第三学年 担任者武原久助」と書いてありました。さっきの茶いろの毛のガサガサした先生の教室なのです。狩猟の時間です。
 私たちが入って行ったとき、先生も生徒も立って挨拶《あいさつ》しました。それから講義が続きました。
「それで狩猟に、前業と本業と後業とあることはよくわかったろう。前業は養鶏《ようけい》を奨励《しょうれい》すること、本業はそれを捕ること、後業はそれを喰《た》べることと斯《こ》うである。
 前業の養鶏奨励の方法は、だんだん詳《くわ》しく述べるつもりであるが、まあその模範《もはん》として一例を示そう。先頃《せんころ》私が茨窪《ばらくぼ》の松林《まつばやし》を散歩していると、向うから一人の黒い小倉服を着た人間の生徒が、何か大へん考えながらやって来た。私はすぐにその生徒の考えていることがわかったので、いきなり前に飛び出した。
 すると向うでは少しびっくりしたらしかったので私はまず斯う云った。
『おい、お前は私が何だか知ってるか。』
 するとその生徒が云った。
『お前は狐《きつね》だろう。』
『そうだ。しかしお前は大へん何か考えて困っているだろう。』
『いいや、なんにも考えていない。』その生徒が云った。その返事が実は大へん私に気に入ったのだ。
『そんなら私はお前の考えていることをあてて見ようか。』
『いいや、いらない。』その生徒が云った。それが又大へん私の気に入った。
『お前は明後日《あさって》の学芸会で、何を云ったらいいか考えているだろう。』
『うん、実はそうだ。』
『そうか、そんなら教えてやろう。あさってお前は養鶏の必要を云うがいい。百姓《ひゃくしょう》の家には、こぼれて砂の入った麦や粟《あわ》や、いらない菜っ葉や何か、たくさんあるんだ。又|甘藍《キャベジ》や何かには、青むしもたかる。それをみんな鶏に食べさせる。鶏は大悦《おおよろこ》びでそれをたべる。卵もうむ。大へん得だと斯う云うがいい。』
 私が云ったら、その生徒は大へん悦んで、厚く礼を述べて行った。きっとあの生徒は学芸会でそれを云ったんだ。するとみんなは勿論《もちろん》と思って早速養鶏をはじめる。大きな鶏やひよっこや沢山《たくさん》できる。そこで我々は早速本業にとりかかると斯う云うのだ。」
 私は実はこの話を聞いたとき、どうしてもおかしくておかしくてたまりませんでした。その生徒というのは私の学校の二年生なのです。先頃《せんころ》学芸会があったのでしたが、その時ちゃんと、狐に遭《あ》ったことから何から、みんな話していたのです。ただおしまいが少し違《ちが》って居りました。それはその生徒の話では
「なんだお前は僕に養鶏をすすめて置いて自分がそれを捕ろうというのか。」と云ったら狐は頭をかかえて一目散に遁《に》げたというのでした。けれどもそれを私は口に出しては云いませんでした。この時丁度、向うで終業のベルが鳴りましたので、先生は、
「今日はここまでにして置きます。」と云って礼をしました。私は校長について校長室に戻りました。校長は又私の茶椀《ちゃわん》に紅茶をついで云いました。
「ご感想はいかがですか。」
 私は答えました。
「正直を云いますと、実は何だか頭がもちゃもちゃしましたのです。」
 校長は高く笑いました。
「アッハッハ。それはどなたもそう仰《おっしゃ》います。時に今日は野原で何かいいものをお見付けですか。」
「ええ、火山弾《かざんだん》を見附《みつ》けました。ごく不完全です。」
「一寸《ちょっと》拝見。」
 私は仕方なく背嚢《はいのう》からそれを出しました。校長は手にとってしばらく見てから
「実にいい標本です。いかがです。一つ学校へご寄附《きふ》を願えませんでしょうか。」と云うのです。私は仕方なく、
「ええ、よろしゅうございます。」と答えました。
 校長はだまってそれをガラス戸棚《とだな》にしまいました。
 私はもう頭がぐらぐらして居たたまらなくなりました。
 すると校長がいきなり、
「ではさよなら。」というのです。そこで私も
「これで失礼|致《いた》します。」と云いながら急いで玄関を出ました。それから走り出しました。
 狐の生徒たちが、わあわあ叫《さけ》び、先生たちのそれをとめる太い声がはっきり後ろで聞えました。私は走って走って、茨海《ばらうみ》の野原のいつも行くあたりまで出ました。それからやっと落ち着いて、ゆっくり歩いてうちへ帰ったのです。
 で結局のところ、茨海狐小学校では、一体どういう教育方針だか、一向さっぱりわかりません。
 正直のところわからないのです。



底本:「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社
   1990(平成2)年5月25日発行
   1997(平成9)年5月10日17刷
底本の親本:「新修宮沢賢治全集 第九巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年7月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年11月26日作成
2009年7月24日修正
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