ぽ》を入れる袋もついてあります。仕立賃も廉《やす》くはないと私は思いました。そして大きな近眼鏡をかけその向うの眼はまるで黄金《きん》いろでした。じっと私を見つめました。それから急いで云いました。
「ようこそいらっしゃいました。さあさあ、どうぞお入り下さい。運動場で生徒が大へん失礼なことをしましたそうで。さあさあ、どうぞお入り下さい。どうぞお入り。」
 私は校長について、校長室へ入りました。その立派なこと。卓の上には地球儀《ちきゅうぎ》がおいてありましたしうしろのガラス戸棚《とだな》には鶏《にわとり》の骨格やそれからいろいろのわなの標本、剥製《はくせい》の狼《おおかみ》や、さまざまの鉄砲《てっぽう》の上手に泥《どろ》でこしらえた模型、猟師《りょうし》のかぶるみの帽子《ぼうし》、鳥打帽から何から何まですべて狐の初等教育に必要なくらいのものはみんな備えつけられていました。私は眼を円くして、ここでもきょろきょろするより仕方ありませんでした。そのうち校長はお茶を注《つ》いで私に出しました。見ると紅茶です。ミルクも入れてあるらしいのです。私はすっかり度胆《どぎも》をぬかれました。
「さあどうか、お掛《か》け下さい。」
 私はこしかけました。
「ええと、失礼ですがお職業はやはり学事の方ですか。」校長がたずねました。
「ええ、農学校の教師です。」
「本日はおやすみでいらっしゃいますか。」
「はあ、日曜です。」
「なるほどあなたの方では太陽|暦《れき》をお使いになる関係上、日曜日がお休みですな。」
 私は一寸《ちょっと》変な気がしました。
「そうするとおうちの方ではどうなるのですか。」
 狐の校長さんは青く光るそらの一ところを見あげてしずかに鬚《ひげ》をひねりながら答えました。
「左様《さよう》、左様、至極《しごく》ご尤《もっとも》なご質問です。私の方は太陰暦を使う関係上、月曜日が休みです。」
 私はすっかり感心しました、この調子ではこの学校は、よほど程度が高いにちがいない、事によると狐の方では、学校は小学校と大学校の二つきりで、或《あるい》はこの茨海小学校は、中学五年程度まで教えるんじゃないかと気がつきましたので、急いでたずねました。
「いかがですか。こちらの方では大学校へ進む生徒は、ずいぶん沢山ございますか。」
 校長さんが得意そうにまるで見当|違《ちが》いの上の方を見ながら答えました。
「へい。実は本年は不思議に実業志望が多ございまして、十三人の卒業生中、十二人まで郷里《きょうり》に帰って勤労に従事いたして居ります。ただ一人だけ大谷地《おおやち》大学校の入学試験を受けまして、それがいかにもうまく通りましたので、へい。」
 全く私の予想通りでした。
 そこへ隣《とな》りの教員室から、黒いチョッキだけ着た、がさがさした茶いろの狐の先生が入って来て私に一礼して云《い》いました。
「武田金一郎をどう処罰いたしましょう。」
 校長は徐《おもむ》ろにそちらを向いてそれから私を見ました。
「こちらは第三学年の担任です。このお方は麻生《あそう》農学校の先生です。」
 私はちょっと礼をしました。
「で武田金一郎をどう処罰したらいいかというのだね。お客さまの前だけれども一寸呼んでおいで。」
 三学年担任の茶いろの狐の先生は、恭《うやうや》しく礼をして出て行きました。間もなく青い格子縞《こうしじま》の短い上着を着た狐の生徒が、今の先生のうしろについてすごすごと入って参りました。
 校長は鷹揚《おうよう》にめがねを外《はず》しました。そしてその武田金一郎という狐の生徒をじっとしばらくの間見てから云いました。
「お前があの草わなを運動場にかけるようにみんなに云いつけたんだね。」
 武田金一郎はしゃんとして返事しました。
「そうです。」
「あんなことして悪いと思わないか。」
「今は悪いと思います。けれどもかける時は悪いと思いませんでした。」
「どうして悪いと思わなかった。」
「お客さんを倒《たお》そうと思ったのじゃなかったからです。」
「どういう考《かんがえ》でかけたのだ。」
「みんなで障碍物《しょうがいぶつ》競争をやろうと思ったんです。」
「あのわなをかけることを、学校では禁じているのだが、お前はそれを忘れていたのか。」
「覚えていました。」
「そんならどうしてそんなことをしたのだ。こう云う工合《ぐあい》にお客さまが度々《たびたび》おいでになる。それに運動場の入口に、あんなものをこしらえて置いて、もしお客さまに万一のことがあったらどうするのだ。お前は学校で禁じているのを覚えていながら、それをするというのはどう云うわけだ。」
「わかりません。」
「わからないだろう。ほんとうはわからないもんだ。それはまあそれでよろしい。お前たちはこのお方がそのわなにつまずいて、お倒れなさったときはやしたそうだが、又私もここで聞いていたが、どうしてそんなことをしたか。」
「わかりません。」
「わからないだろう。全くわからないもんだ。わかったらまさかお前たちはそんなことしないだろうな。では今日の所は、私からよくお客さまにお詫《わび》を申しあげて置くから、これからよく気をつけなくちゃいけないよ。いいか。もう決して学校で禁じてあることをしてはならんぞ。」
「はい、わかりました。」
「では帰って遊んでよろしい。」校長さんは今度は私に向きました。担任の先生はきちんとまだ立っています。
「只今《ただいま》のようなわけで、至って無邪気《むじゃき》なので、決して悪気があって笑ったりしたのではないようでございますから、どうかおゆるしをねがいとう存じます。」
 私はもちろんすぐ云いました。
「どう致《いた》しまして。私こそいきなりおうちの運動場へ飛び込《こ》んで来て、いろいろ失礼を致しました。生徒さん方に笑われるのなら却《かえ》って私は嬉《うれ》しい位です。」
 校長さんは眼鏡《めがね》を拭《ふ》いてかけました。
「いや、ありがとうございます。おい武村君。君からもお礼を申しあげてくれ。」
 三年担任の武村先生も一寸私に頭を下げて、それから校長に会釈《えしゃく》して教員室の方へ出て行きました。
 校長さんの狐《きつね》は下を向いて二三度くんくん云ってから、新らしく紅茶を私に注《つ》いでくれました。そのときベルが鳴りました。午后《ごご》の課業のはじまる十分前だったのでしょう。校長さんが向うの黒塗《くろぬ》りの時間表を見ながら云いました。
「午后は第一学年は修身と護身、第二学年は狩猟《しゅりょう》術、第三学年は食品化学と、こうなっていますがいずれもご参観になりますか。」
「さあみんな拝見いたしたいです。たいへん面白《おもしろ》そうです。今朝《けさ》からあがらなかったのが本当に残念です。」
「いや、いずれ又《また》おいでを願いましょう。」
「護身というのは修身といっしょになっているのですか。」
「ええ昨年までは別々でやりましたが、却って結果がよくないようです。」
「なるほどそれに狩猟だなんて、ずいぶん高尚《こうしょう》な学科もおやりですな。私の方ではまあ高等専門学校や大学の林科にそれがあるだけです。」
「ははん、なるほど。けれどもあなたの方の狩猟と、私の方の狩猟とは、内容はまるでちがっていますからな、ははん。あなたの方の狩猟は私の方の護身にはいり、私の方の狩猟は、さあ、狩猟前業はあなたの方の畜産《ちくさん》にでも入りますかな、まあとにかくその時々でゆっくりご説明いたしましょう。」
 この時ベルが又鳴りました。
 がやがや物を言う声、それから「気をつけ」や「番号」や「右向け右」や「前へ進め」で狐の生徒は一学級ずつだんだん教室に入ったらしいのです。
 それからしばらくたって、どの教室もしいんとなりました。先生たちの太い声が聞えて来ました。
「さあではご案内を致しましょう。」狐の校長さんは賢《かしこ》そうに口を尖《とが》らして笑いながら椅子《いす》から立ちあがりました。私はそれについて室《へや》を出ました。
「はじめに第一学年をご案内いたします。」
 校長さんは「第一教室、第一学年、担任者、武井甲吉」と黒い塗札《ぬりふだ》の下った、ばらの壁《かべ》で囲まれた室に入りました。私もついて入りました。そこの先生は私のまだあわない方で実にしゃれたなりをして頭の銀毛などもごく高尚《こうしょう》なドイツ刈《が》りに白のモオニングを着て教壇《きょうだん》に立っていました。もちろん教壇のうしろの茨《いばら》の壁には黒板もかかり、先生の前にはテーブルがあり、生徒はみなで十五人ばかり、きちんと白い机《デスク》にこしかけて、講義をきいて居《お》りました。私がすっかり入って立ったとき、先生は教壇を下りて私たちに礼をしました。それから教壇にのぼって云いました。
「麻生《あそう》農学校の先生です。さあみんな立って。」
 生徒の狐たちはみんなぱっと立ちあがりました。
「ご挨拶《あいさつ》に麻生農学校の校歌を歌うのです。そら、一、二、三、」先生は手を振《ふ》りはじめました。生徒たちは高く高く私の学校の校歌を歌いはじめました。私は全くよろよろして泣き出そうとしました。誰《たれ》だっていきなり茨海《ばらうみ》狐小学校へ来て自分の学校の校歌を狐の生徒にうたわれて泣き出さないでいられるもんですか。それでも私はこらえてこらえて顔をしかめて泣くのを押《おさ》えました。嬉しかったよりはほんとうに辛《つら》かったのです。校歌がすみ、先生は一寸《ちょっと》挨拶して生徒を手まねで座《すわ》らせ、鞭《むち》をとりました。
 黒板には「最高の偽《うそ》は正直なり。」と書いてあり、先生は説明をつづけました。
「そこで、元来偽というのは、いけないものです。いくら上手に偽をついてもだめなのです。賢い人がききますと、ちゃんと見わけがつくのです。それは賢い人たちは、その語《ことば》のつりあいで、ほんとうかうそかすぐわかり、またその音ですぐわかり、それからそれを云うものの顔やかたちですぐわかります。ですからうそというものは、ほんの一時はうまいように思われることがあっても、必ずまもなくだめになるものです。
 そこでこの格言の意味は、もしも誰かが一つこんな工合のうそをついて、こう云う工合にうまくやろうと考えるとします。そのときもしよくその云うことを自分で繰《く》り返し繰り返しして見ますと、いつの間にか、どうもこれでは向うにわかるようだ、も少しこう云わなくてはいけないというような気がするのです、そこで云いようをすっかり改めて、又それを心の中で繰り返し繰り返しして見ます、やっぱりそれでもいけないようだ、こうしよう、と考えます。それもやっぱりだめなようだ、こうしようと思います。こんな工合にして一生けん命考えて行きますと、とうとうしまいはほんとうのことになってしまうのです。そんならそのほんとうのことを云ったら、実際どうなるかと云うと、実はかえってうまく偽をついたよりは、いいことになる、たとえすぐにはいけないことになったようでも、結局は、結局は、いいことになる。だからこの格言は又
『正直は最良の方便なり』とも云われます。」
 先生は黒板へ向いて、前のにならべて今の格言を書きました。
 生徒はみんなきちんと手を膝《ひざ》において耳を尖らせて聞いていましたが、この時|一斉《いっせい》にペンをとって黒板の字を書きとりました。
 校長は一寸私の顔を見ました。私がどんな風に、今の講義を感じたか、それを知りたいという様子でしたから、私は五六秒|眼《め》を瞑《つぶ》っていかにも感銘《かんめい》にたえないということを示しました。
 先生はみんなの書いてしまう間、両手をせなかにしょってじっとしていましたがみんながばたばた鉛筆《えんぴつ》を置いて先生の方を見始めますと、又講義をつづけました。
「そこで今の『正直は最良の方便』という格言は、ただ私たちがうそをつかないのがいいというだけではなく、又丁度反対の応用もあるのです。それは人間が私たちに偽をつかないのも又最良の方便です。その一例を挙げますとわなです
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