ないというわけには行きません。もし反対に一本でも私に見当ったら、それはあるということの証拠にはなりましょう。ですからやっぱりわからないのです。
 火山弾の方は、はじが少し潰《つぶ》れてはいましたが、半日かかってとにかく一つ見附けました。
 見附けたのでしたが、それはつい寄附させられてしまいました。誰《たれ》に寄附させられたのかっていうんですか。誰にって校長にですよ。どこの学校? ええ、どこの学校って正直に云っちまいますとね、茨海|狐《きつね》小学校です。愕《おどろ》いてはいけません。実は茨海狐小学校をそのひるすぎすっかり参観して来たのです。そんなに変な顔をしなくてもいいのです。狐にだまされたのとはちがいます。狐にだまされたのなら狐が狐に見えないで女とか坊《ぼう》さんとかに見えるのでしょう。ところが私のはちゃんと狐を狐に見たのです。狐を狐に見たのが若《も》しだまされたものならば人を人に見るのも人にだまされたという訳です。
 ただ少しおかしいことは人なら小学校もいいけれど狐はどうだろうということですがそれだってあんまりさしつかえありません。まあも少しあとを聞いてごらんなさい。大丈夫《だいじ
前へ 次へ
全29ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング