ました。
「へい。実は本年は不思議に実業志望が多ございまして、十三人の卒業生中、十二人まで郷里《きょうり》に帰って勤労に従事いたして居ります。ただ一人だけ大谷地《おおやち》大学校の入学試験を受けまして、それがいかにもうまく通りましたので、へい。」
全く私の予想通りでした。
そこへ隣《とな》りの教員室から、黒いチョッキだけ着た、がさがさした茶いろの狐の先生が入って来て私に一礼して云《い》いました。
「武田金一郎をどう処罰いたしましょう。」
校長は徐《おもむ》ろにそちらを向いてそれから私を見ました。
「こちらは第三学年の担任です。このお方は麻生《あそう》農学校の先生です。」
私はちょっと礼をしました。
「で武田金一郎をどう処罰したらいいかというのだね。お客さまの前だけれども一寸呼んでおいで。」
三学年担任の茶いろの狐の先生は、恭《うやうや》しく礼をして出て行きました。間もなく青い格子縞《こうしじま》の短い上着を着た狐の生徒が、今の先生のうしろについてすごすごと入って参りました。
校長は鷹揚《おうよう》にめがねを外《はず》しました。そしてその武田金一郎という狐の生徒をじっとしばらくの間見てから云いました。
「お前があの草わなを運動場にかけるようにみんなに云いつけたんだね。」
武田金一郎はしゃんとして返事しました。
「そうです。」
「あんなことして悪いと思わないか。」
「今は悪いと思います。けれどもかける時は悪いと思いませんでした。」
「どうして悪いと思わなかった。」
「お客さんを倒《たお》そうと思ったのじゃなかったからです。」
「どういう考《かんがえ》でかけたのだ。」
「みんなで障碍物《しょうがいぶつ》競争をやろうと思ったんです。」
「あのわなをかけることを、学校では禁じているのだが、お前はそれを忘れていたのか。」
「覚えていました。」
「そんならどうしてそんなことをしたのだ。こう云う工合《ぐあい》にお客さまが度々《たびたび》おいでになる。それに運動場の入口に、あんなものをこしらえて置いて、もしお客さまに万一のことがあったらどうするのだ。お前は学校で禁じているのを覚えていながら、それをするというのはどう云うわけだ。」
「わかりません。」
「わからないだろう。ほんとうはわからないもんだ。それはまあそれでよろしい。お前たちはこのお方がそのわなにつまずいて、お倒れなさったときはやしたそうだが、又私もここで聞いていたが、どうしてそんなことをしたか。」
「わかりません。」
「わからないだろう。全くわからないもんだ。わかったらまさかお前たちはそんなことしないだろうな。では今日の所は、私からよくお客さまにお詫《わび》を申しあげて置くから、これからよく気をつけなくちゃいけないよ。いいか。もう決して学校で禁じてあることをしてはならんぞ。」
「はい、わかりました。」
「では帰って遊んでよろしい。」校長さんは今度は私に向きました。担任の先生はきちんとまだ立っています。
「只今《ただいま》のようなわけで、至って無邪気《むじゃき》なので、決して悪気があって笑ったりしたのではないようでございますから、どうかおゆるしをねがいとう存じます。」
私はもちろんすぐ云いました。
「どう致《いた》しまして。私こそいきなりおうちの運動場へ飛び込《こ》んで来て、いろいろ失礼を致しました。生徒さん方に笑われるのなら却《かえ》って私は嬉《うれ》しい位です。」
校長さんは眼鏡《めがね》を拭《ふ》いてかけました。
「いや、ありがとうございます。おい武村君。君からもお礼を申しあげてくれ。」
三年担任の武村先生も一寸私に頭を下げて、それから校長に会釈《えしゃく》して教員室の方へ出て行きました。
校長さんの狐《きつね》は下を向いて二三度くんくん云ってから、新らしく紅茶を私に注《つ》いでくれました。そのときベルが鳴りました。午后《ごご》の課業のはじまる十分前だったのでしょう。校長さんが向うの黒塗《くろぬ》りの時間表を見ながら云いました。
「午后は第一学年は修身と護身、第二学年は狩猟《しゅりょう》術、第三学年は食品化学と、こうなっていますがいずれもご参観になりますか。」
「さあみんな拝見いたしたいです。たいへん面白《おもしろ》そうです。今朝《けさ》からあがらなかったのが本当に残念です。」
「いや、いずれ又《また》おいでを願いましょう。」
「護身というのは修身といっしょになっているのですか。」
「ええ昨年までは別々でやりましたが、却って結果がよくないようです。」
「なるほどそれに狩猟だなんて、ずいぶん高尚《こうしょう》な学科もおやりですな。私の方ではまあ高等専門学校や大学の林科にそれがあるだけです。」
「ははん、なるほど。けれどもあなたの方の狩猟と、私の方の狩猟とは、内容は
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