まるでちがっていますからな、ははん。あなたの方の狩猟は私の方の護身にはいり、私の方の狩猟は、さあ、狩猟前業はあなたの方の畜産《ちくさん》にでも入りますかな、まあとにかくその時々でゆっくりご説明いたしましょう。」
 この時ベルが又鳴りました。
 がやがや物を言う声、それから「気をつけ」や「番号」や「右向け右」や「前へ進め」で狐の生徒は一学級ずつだんだん教室に入ったらしいのです。
 それからしばらくたって、どの教室もしいんとなりました。先生たちの太い声が聞えて来ました。
「さあではご案内を致しましょう。」狐の校長さんは賢《かしこ》そうに口を尖《とが》らして笑いながら椅子《いす》から立ちあがりました。私はそれについて室《へや》を出ました。
「はじめに第一学年をご案内いたします。」
 校長さんは「第一教室、第一学年、担任者、武井甲吉」と黒い塗札《ぬりふだ》の下った、ばらの壁《かべ》で囲まれた室に入りました。私もついて入りました。そこの先生は私のまだあわない方で実にしゃれたなりをして頭の銀毛などもごく高尚《こうしょう》なドイツ刈《が》りに白のモオニングを着て教壇《きょうだん》に立っていました。もちろん教壇のうしろの茨《いばら》の壁には黒板もかかり、先生の前にはテーブルがあり、生徒はみなで十五人ばかり、きちんと白い机《デスク》にこしかけて、講義をきいて居《お》りました。私がすっかり入って立ったとき、先生は教壇を下りて私たちに礼をしました。それから教壇にのぼって云いました。
「麻生《あそう》農学校の先生です。さあみんな立って。」
 生徒の狐たちはみんなぱっと立ちあがりました。
「ご挨拶《あいさつ》に麻生農学校の校歌を歌うのです。そら、一、二、三、」先生は手を振《ふ》りはじめました。生徒たちは高く高く私の学校の校歌を歌いはじめました。私は全くよろよろして泣き出そうとしました。誰《たれ》だっていきなり茨海《ばらうみ》狐小学校へ来て自分の学校の校歌を狐の生徒にうたわれて泣き出さないでいられるもんですか。それでも私はこらえてこらえて顔をしかめて泣くのを押《おさ》えました。嬉しかったよりはほんとうに辛《つら》かったのです。校歌がすみ、先生は一寸《ちょっと》挨拶して生徒を手まねで座《すわ》らせ、鞭《むち》をとりました。
 黒板には「最高の偽《うそ》は正直なり。」と書いてあり、先生は説明をつづけました。
「そこで、元来偽というのは、いけないものです。いくら上手に偽をついてもだめなのです。賢い人がききますと、ちゃんと見わけがつくのです。それは賢い人たちは、その語《ことば》のつりあいで、ほんとうかうそかすぐわかり、またその音ですぐわかり、それからそれを云うものの顔やかたちですぐわかります。ですからうそというものは、ほんの一時はうまいように思われることがあっても、必ずまもなくだめになるものです。
 そこでこの格言の意味は、もしも誰かが一つこんな工合のうそをついて、こう云う工合にうまくやろうと考えるとします。そのときもしよくその云うことを自分で繰《く》り返し繰り返しして見ますと、いつの間にか、どうもこれでは向うにわかるようだ、も少しこう云わなくてはいけないというような気がするのです、そこで云いようをすっかり改めて、又それを心の中で繰り返し繰り返しして見ます、やっぱりそれでもいけないようだ、こうしよう、と考えます。それもやっぱりだめなようだ、こうしようと思います。こんな工合にして一生けん命考えて行きますと、とうとうしまいはほんとうのことになってしまうのです。そんならそのほんとうのことを云ったら、実際どうなるかと云うと、実はかえってうまく偽をついたよりは、いいことになる、たとえすぐにはいけないことになったようでも、結局は、結局は、いいことになる。だからこの格言は又
『正直は最良の方便なり』とも云われます。」
 先生は黒板へ向いて、前のにならべて今の格言を書きました。
 生徒はみんなきちんと手を膝《ひざ》において耳を尖らせて聞いていましたが、この時|一斉《いっせい》にペンをとって黒板の字を書きとりました。
 校長は一寸私の顔を見ました。私がどんな風に、今の講義を感じたか、それを知りたいという様子でしたから、私は五六秒|眼《め》を瞑《つぶ》っていかにも感銘《かんめい》にたえないということを示しました。
 先生はみんなの書いてしまう間、両手をせなかにしょってじっとしていましたがみんながばたばた鉛筆《えんぴつ》を置いて先生の方を見始めますと、又講義をつづけました。
「そこで今の『正直は最良の方便』という格言は、ただ私たちがうそをつかないのがいいというだけではなく、又丁度反対の応用もあるのです。それは人間が私たちに偽をつかないのも又最良の方便です。その一例を挙げますとわなです
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