生の狐について行きました。生徒らは小さくなって、私を見送りました。みんなで五十人は居たでしょう。私たちが過ぎてから、みんなそろそろ立ちあがりました。
先生はふっとうしろを振《ふ》りかえりました。そして強く命令しました。
「わなをみんな解け。こんなことをして学校の名誉に関するじゃないか。今に主謀者《しゅぼうしゃ》は処罰するぞ。」
生徒たちはくるくるはねまわってその草わなをみんなほどいて居《お》りました。
私は向うに、七尺ばかりの高さのきれいな野ばらの垣根《かきね》を見ました。垣根の長さは十二間はたしかにあったでしょう。そのまん中に入り口があって、中は一段高くなっていました。私は全くそれを垣根だと思っていたのです。ところが先生が
「さあ、どうかお入り下さい。」と叮寧《ていねい》に云うものですから、その通り一足中へはいりましたら、全く愕《おどろ》いてしまいました。そこは玄関《げんかん》だったのです。中はきれいに刈《か》り込んだみじかい芝生《しばふ》になっていてのばらでいろいろしきりがこさえてありました。それに靴《くつ》ぬぎもあれば革《かわ》のスリッパもそろえてあり馬の尾を集めてこさえた払子《ほっす》もちゃんとぶらさがっていました。すぐ上り口に校長室と白い字で書いた黒札《くろふだ》のさがったばらで仕切られた室《へや》がありそれから廊下《ろうか》もあります。教員室や教室やみんなばらの木できれいにしきられていました。みんな私たちの小学校と同じです。ただちがうところは教室にも廊下にも窓のないことそれから屋根のないことですが、これは元来屋根がなければ窓はいらない筈《はず》ですからおまけに室の上を白い雲が光って行ったりしますから、実に便利だろうと思いました。校長室の中では、白服の人の動いているのがちらちら見えます。エヘンエヘンと云っているのも聞えます。私はきょろきょろあちこち見まわしていましたら、先生が少し笑って云いました。
「どうぞスリッパをお召《め》しなすって。只今《ただいま》校長に申しますから。」
私はそこで、長靴をぬいで、スリッパをはき、背嚢《はいのう》をおろして手にもちました。その間に先生は校長室へ入って行きましたが、間もなく校長と二人で出て来ました。校長は瘠《や》せた白い狐で涼《すず》しそうな麻《あさ》のつめえりでした。もちろん狐の洋服ですからずぼんには尻尾《しっぽ》を入れる袋もついてあります。仕立賃も廉《やす》くはないと私は思いました。そして大きな近眼鏡をかけその向うの眼はまるで黄金《きん》いろでした。じっと私を見つめました。それから急いで云いました。
「ようこそいらっしゃいました。さあさあ、どうぞお入り下さい。運動場で生徒が大へん失礼なことをしましたそうで。さあさあ、どうぞお入り下さい。どうぞお入り。」
私は校長について、校長室へ入りました。その立派なこと。卓の上には地球儀《ちきゅうぎ》がおいてありましたしうしろのガラス戸棚《とだな》には鶏《にわとり》の骨格やそれからいろいろのわなの標本、剥製《はくせい》の狼《おおかみ》や、さまざまの鉄砲《てっぽう》の上手に泥《どろ》でこしらえた模型、猟師《りょうし》のかぶるみの帽子《ぼうし》、鳥打帽から何から何まですべて狐の初等教育に必要なくらいのものはみんな備えつけられていました。私は眼を円くして、ここでもきょろきょろするより仕方ありませんでした。そのうち校長はお茶を注《つ》いで私に出しました。見ると紅茶です。ミルクも入れてあるらしいのです。私はすっかり度胆《どぎも》をぬかれました。
「さあどうか、お掛《か》け下さい。」
私はこしかけました。
「ええと、失礼ですがお職業はやはり学事の方ですか。」校長がたずねました。
「ええ、農学校の教師です。」
「本日はおやすみでいらっしゃいますか。」
「はあ、日曜です。」
「なるほどあなたの方では太陽|暦《れき》をお使いになる関係上、日曜日がお休みですな。」
私は一寸《ちょっと》変な気がしました。
「そうするとおうちの方ではどうなるのですか。」
狐の校長さんは青く光るそらの一ところを見あげてしずかに鬚《ひげ》をひねりながら答えました。
「左様《さよう》、左様、至極《しごく》ご尤《もっとも》なご質問です。私の方は太陰暦を使う関係上、月曜日が休みです。」
私はすっかり感心しました、この調子ではこの学校は、よほど程度が高いにちがいない、事によると狐の方では、学校は小学校と大学校の二つきりで、或《あるい》はこの茨海小学校は、中学五年程度まで教えるんじゃないかと気がつきましたので、急いでたずねました。
「いかがですか。こちらの方では大学校へ進む生徒は、ずいぶん沢山ございますか。」
校長さんが得意そうにまるで見当|違《ちが》いの上の方を見ながら答え
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