ょうぶ》狐小学校があるということがわかりますから。ただ呉《く》れ呉《ぐ》れも云って置きますが狐小学校があるといってもそれはみんな私の頭の中にあったと云うので決して偽《うそ》ではないのです。偽でない証拠にはちゃんと私がそれを云っているのです。もしみなさんがこれを聞いてその通り考えれば狐小学校はまたあなたにもあるのです。私は時々|斯《こ》う云う勝手な野原をひとりで勝手にあるきます。けれども斯う云う旅行をするとあとで大へんつかれます。殊《こと》にも算術などが大へん下手になるのです。ですから斯う云う旅行のはなしを聞くことはみなさんにも決して差支《さしつか》えありませんがあんまり度々《たびたび》うっかり出かけることはいけません。
 まあお話をつづけましょう。なあにほんとうはあの茨《いばら》やすすきの一杯《いっぱい》生えた野原の中で浜茄などをさがすよりは、初めから狐小学校を参観した方がずうっとよかったのです。朝の一時間目からみていた方が参考にもなり、又《また》面白《おもしろ》かったのです。私のみたのは今も云いました通り、午后《ごご》の授業です。一時から二時までの間の第五時間目です。なかなか狐の小学生には、しっかりした所がありますよ。五時間目だって、一人も厭《あ》きてるものがないんです。参観のもようを、詳《くわ》しくお話しましょうか。きっとあなたにも、大へん参考になります。
 浜茄は見附からず、小さな火山弾を一つ採って、私は草に座《すわ》りました。空がきらきらの白いうろこ雲で一杯でした。茨には青い実がたくさんつき、萱《かや》はもうそろそろ穂《ほ》を出しかけていました。太陽が丁度空の高い処《ところ》にかかっていましたから、もうおひるだということがわかりました。又じっさいお腹《なか》も空《す》いていました。そこで私は持って行ったパンの袋《ふくろ》を背嚢《はいのう》から出して、すぐ喰《た》べようとしましたが、急に水がほしくなりました。今まで歩いたところには、一とこだって流れも泉もありませんでしたが、もしかも少し向うへ行ったら、とにかく小さな流れにでもぶっつかるかも知れないと考えて、私は背嚢の中に火山弾を入れて、面倒《めんどう》くさいのでかけ金もかけず、締革《しめかわ》をぶらさげたまませなかにしょい、パンの袋だけ手にもって、又ぶらぶらと向うへ歩いて行きました。
 何べんもばらがかきねのよ
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