が帰って炉《ろ》ばたに居《い》たからぼくは思い切って父にもう一|度《ど》学校の事情《じじょう》を云った。
 すると父が母もまだ伊勢詣《いせまい》りさえしないのだし祖母《そぼ》だって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡《かんのんめぐ》り一ぺんしただけこの十何年|死《し》ぬまでに善光寺《ぜんこうじ》へお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年《きょねん》からのここら全体《ぜんたい》の旱魃《かんばつ》でいま外へ遊《あそ》んで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪《わる》くてどうもいけないということを云った。
 僕はいくら下を向いていても炉のなかへ涙《なみだ》がこぼれて仕方《しかた》なかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからと云《い》った。ぼくはみんなが修学旅行《しゅうがくりょこう》へ発《た》つ間休みだといって学校は欠席《けっせき》しようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談《そうだん》するからと云ってあとはいろいろ稲《いね》の種類《しゅるい》のことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持《きも》ちがさっぱりした。


五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人|居《い》て何だか嬉《うれ》しそうにして田の畦《あぜ》を切っていた。
 何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のことだと思った。
 僕《ぼく》もそこで母が家へ帰るまで田打《たう》ちをして助《たす》けた。
 けれども父はまだ帰って来ない。


五月十四日、昨夜《さくや》父が晩《おそ》く帰って来て、僕を修学旅行にやると云った。母も嬉しそうだったし祖母もいろいろ向《むこ》うのことを聞いたことを云った。祖母の云うのはみんな北海道|開拓当時《かいたくとうじ》のことらしくて熊《くま》だのアイヌだの南瓜《かぼちゃ》の飯《めし》や玉蜀黍《とうもろこし》の団子《だんご》やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田《たけだ》先生へ行くと云《い》って届《とど》けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員《ていいん》を超《こ》えたことにして県《けん》へは申請書《しんせいしょ》を出したそうだ。ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳《くわ》しく話すのだ。
前へ 次へ
全16ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング