いっていませんでした。
「それ、しっかり投げろ。なまけるな。」下では紳士が叫んでいます。ネネムはそこで又投げました。やっぱりなんにもありません。又投げました。やっぱり昆布ははいりません。
 つかれてヘトヘトになったネネムはもう何でも構わないから下りて行こうとしました。すると愕《おどろ》いたことにははしごがありませんでした。
 そしてもう夕方になったと見えてばけものぞらは緑色になり変なばけものパンが下の方からふらふらのぼって来てネネムの前にとまりました。紳士はどこへ行ったか影《かげ》もかたちもありません。
 向うの木の上の二人もしょんぼりと頭を垂れてパンを食べながら考えているようすでした。その木にも鉄のはしごがもう見えませんでした。
 ネネムも仕方なくばけものパンを噛《か》じりはじめました。
 その時紳士が来て、
「さあ、たべてしまったらみんな早く網を投げろ。昆布を一|斤《きん》とらないうちは綿のはいったチョッキをやらんぞ。」とどなりました。
 ネネムは叫びました。
「おじさん。僕もうだめだよ。おろしてお呉《く》れ。」
 紳士が下でどなりました。
「何だと。パンだけ食ってしまってあとはおろしてお呉れだと。あんまり勝手なことを云うな。」
「だってもううごけないんだもの。」
「そうか。それじゃ動けるまでやすむさ。」と紳士が云いました。ネネムは栗の木のてっぺんに腰《こし》をかけてつくづくとやすみました。
 その時栗の木が湯気をホッホッと吹《ふ》き出しましたのでネネムは少し暖まって楽になったように思いました。そこで又元気を出して網を空に投げました。空では丁度星が青く光りはじめたところでした。
 ところが今度の網がどうも実に重いのです。ネネムはよろこんでたぐり寄せて見ますとたしかに大きな大きな昆布が一枚ひらりとはいって居りました。
 ネネムはよろこんで
「おじさん。さあ投げるよ。とれたよ。」
と云いながらそれを下へ落しました。
「うまい、うまい。よし。さあ綿のチョッキをやるぜ。」
 チョッキがふらふらのぼって来ました。ネネムは急いでそれを着て云いました。
「おじさん。一ドル呉れるの。」
 紳士が下の浅黄色のもやの中で云いました。
「うん。一ドルやる。しかしパンが一日一ドルだからな。一日十斤以上こんぶを取ったらあとは一斤十セントで買ってやろう。そのよけいの分がおまえのもうけさ。ためて置いていつでも払《はら》ってやるよ。その代り十斤に足りなかったら足りない分がお前の損さ。その分かしにして置くよ。」
 ネネムは実にがっかりしました。向うの木の二人の男はもういくら星あかりにすかして見ても居ないようでした。きっとあんまり仕事がつらくて消滅《しょうめつ》してしまったのでしょう。さてネネムは決心しました。それからよるもひるも栗の木の湯気とばけものパンと見えない網と紳士と昆布と、これだけを相手にして実に十年というものこの仕事をつづけました。これらの対手《あいて》の中でもパンと昆布とがまず大将でした。はじめの四年は毎日毎日借りばかり次の五年でそれを払いおしまいの三ヶ月でお金がたまりました。そこで下に降りてたまった三百ドルをふところにしてばけもの世界のまちの方へ歩き出しました。

   二、ペンネンネンネンネン・ネネムの立身

 ペンネンネンネンネン・ネネムは十年のあいだ木の上に直立し続けた為《ため》にしきりに痛む膝《ひざ》を撫《な》でながら、森を出て参りました。森の出口に小さな雑貨商がありましたので、ネネムは店にはいって、まっ黒な上着とズボンを一つ買いました。それから急いでそれを着ながら考えました。
「何か学問をして書記になりたいもんだな。もう投げるようなたぐるようなことは考えただけでも命が縮まる。よしきっと書記になるぞ。」
 ペンネンネンネンネン・ネネムはお銭《あし》を払って店を出る時ちらっと向うの姿見にうつった自分の姿を見ました。
 着物が夜のようにまっ黒、縮れた赤毛が頭から肩《かた》にふさふさ垂れまっ青な眼《め》はかがやきそれが自分だかと疑った位立派でした。
 ネネムは嬉《うれ》しくて口笛《くちぶえ》を吹いてただ一息に三十ノットばかり走りました。
「ハンムンムンムンムン・ムムネの市まで、もうどれ位ありましょうか。」とペンネンネンネンネン・ネネムが、向うからふらふらやって来た黄色な影法師のばけ物にたずねました。
「そうだね。一寸ここまでおいで。」その黄色な幽霊《ゆうれい》は、ネネムの四角な袖《そで》のはじをつまんで、一本のばけものりんご[#「ばけものりんご」に傍線]の木の下まで連れて行って、自分の片足をりんごの木の根にそろえて置いて云いました。
「あなたも片足をここまで出しなさい。」
 ネネムは急いでその通りしますとその黄色な幽霊は、屈《かが》んで片っ
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