しんし》でした。貝殻《かいがら》でこしらえた外套《がいとう》を着て水煙草《みずたばこ》を片手に持って立っているのでした。
「おじさん。もう飢饉は過ぎたの。手伝いって何を手伝うの。」
「昆布《こんぶ》取りさ。」
「ここで昆布がとれるの。」
「取れるとも。見ろ。折角やってるじゃないか。」
 なるほどさっきの二人は一生けん命網をなげたりそれを繰《く》ったりしているようでしたが網も糸も一向見えませんでした。
「あれでも昆布がとれるの。」
「あれでも昆布がとれるのかって。いやな子供だな。おい、縁起《えんぎ》でもないぞ。取れもしないところにどうして工場なんか建てるんだ。取れるともさ。現におれはじめ沢山のものがそれでくらしを立てているんじゃないか。」
 ネネムはかすれた声でやっと
「そうですか。おじさん。」と云いました。
「それにこの森はすっかりおれの森なんだからさっきのように勝手にわらびなんぞ取ることは疾《と》うに差し止めてあるんだぞ。」
 ネネムは大変いやな気がしました。紳士は又云いました。
「お前もおれの仕事に手伝え。一日一ドルずつ手間をやるぜ。そうでもしなかったらお前は飯を食えまいぜ。」
 ネネムは泣き出しそうになりましたがやっとこらえて云いました。
「おじさん。そんなら僕《ぼく》手伝うよ。けれどもどうして昆布を取るの。」
「ふん。そいつは勿論《もちろん》教えてやる。いいか、そら。」紳士はポケットから小さく畳《たた》んだ洋傘《こうもりがさ》の骨のようなものを出しました。
「いいか。こいつを延ばすと子供の使うはしごになるんだ。いいか。そら。」
 紳士はだんだんそれを引き延ばしました。間もなく長さ十|米《メートル》ばかりの細い細い絹糸でこさえたようなはしごが出来あがりました。
「いいかい。こいつをね。あの栗の木に掛《か》けるんだよ。ああ云う工合《ぐあい》にね。」紳士はさっきの二人の男を指さしました。二人は相かわらず見えない網や糸をまっさおな空に投げたり引いたりしています。
 紳士ははしごを栗の樹《き》にかけました。
「いいかい。今度はおまえがこいつをのぼって行くんだよ。そら、登ってごらん。」
 ネネムは仕方なくはしごにとりついて登って行きましたがはしごの段々がまるで針金のように細くて手や、足に喰《く》い込んでちぎれてしまいそうでした。
「もっと登るんだよ。もっと。そら、もっと。」下では紳士が叫んでいます。ネネムはすっかり頂上まで登りました。栗の木の頂上というものはどうも実に寒いのでした。それに気がついて見ると自分の手からまるで蜘蛛《くも》の糸でこしらえたようなあやしい網がぐらぐらゆれながらずうっと青空の方へひろがっているのです。そのぐらぐらはだんだん烈《はげ》しくなってネネムは危なく下に落ちそうにさえなりました。
「そら、網があったろう。そいつを空へ投げるんだよ。手がぐらぐら云うだろう。そいつはね、風の中のふか[#「ふか」に傍線]やさめ[#「さめ」に傍線]がつきあたってるんだ。おや、お前はふるえてるね。意気地なしだなあ。投げるんだよ、投げるんだよ。そら、投げるんだよ。」
 ネネムは何とも云えず厭《いや》な心持がしました。けれども仕方なく力|一杯《いっぱい》にそれをたぐり寄せてそれからあらんかぎり上の方に投げつけました。すると目がぐるぐるっとして、ご機嫌《きげん》のいいおキレさままでがまるで黒い土の球《たま》のように見えそれからシュウとはしごのてっぺんから下へ落ちました。もう死んだとネネムは思いましたがその次にもう耳が抜けたとネネムは思いました。というわけはネネムはきちんと地面の上に立っていて紳士がネネムの耳をつかんでぶりぶり云いながら立っていました。
「お前もいくじのないやつだ。何というふにゃふにゃだ。俺《おれ》が今お前の耳をつかんで止めてやらなかったらお前は今ごろは頭がパチンとはじけていたろう。おれはお前の大恩人ということになっている。これから失礼をしてはならん。ところでさあ、登れ。登るんだよ。夕方になったらたべものも送ってやろう。夜になったら綿のはいったチョッキもやろう。さあ、登れ。」
「夕方になったら下へ降りて来るんでしょう。」
「いいや。そんなことがあるもんか。とにかく昆布がとれなくちゃだめだ。どれ一寸《ちょっと》網を見せろ。」
 紳士はネネムの手にくっついた網をたぐり寄せて中をあらためました。網のずうっとはじの方に一寸四方ばかりの茶色なヌラヌラしたものがついていました。紳士はそれを取って
「ふん、たったこれだけか。」と云いながらそれでも少し笑ったようでした。そしてネネムは又はしごを上って行きました。
 やっと頂上へ着いて又力一杯空に網を投げました。それからわくわくする足をふみしめふみしめ網を引き寄せて見ましたが中にはなんにもは
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