方の目をつぶって、足さきがりんごの木の根とよくそろっているか検査したあとで云いました。
「いいか。ハンムンムンムンムン・ムムネ市の入口までは、丁度この足さきから六ノット六チェーンあるよ。それでは途中《とちゅう》気をつけておいで。」そしてくるっとまわって向うへ行ってしまいました。
 ネネムはそのうしろから、ていねいにお辞儀をして、
「ああありがとうございます。六ノット六チェーンならば、私が一時間一ノット一チェーンずつあるきますと六時間で参れます。一時間三ノット三チェーンずつあるきますと二時間で参れます。すっかり見当がつきまして、こんなうれしいことはありません。」と云いながら、もう一つ頭を下げました。赤毛はじゃらんと下に垂《さ》がりましたけれども、実は黄色の幽霊はもうずうっと向うのばけもの世界のかげろうの立つ畑の中にでもはいったらしく、影もかたちもありませんでした。
 そこでネネムは又あるき出しました。すると又向うから無暗《むやみ》にぎらぎら光る鼠《ねずみ》色の男が、赤いゴム靴《ぐつ》をはいてやって参りました。そしてネネムをじろじろ見ていましたが、突然《とつぜん》そばに走って来て、ネネムの右の手首をしっかりつかんで云いました。
「おい。お前は森の中の昆布《こんぶ》採りがいやになってこっちへ出て来た様子だが、一体これから何が目的だ。」
 ネネムはこれはきっと探偵《たんてい》にちがいないと思いましたので、堅《かた》くなって答えました。
「はい。私は書記が目的であります。」
 するとその男は左手で短いひげをひねって一寸考えてから云いました。
「ははあ、書記が目的か。して見ると何だな。お前は森の中であんまりばけものパンばかり喰ったな。」
 ネネムはすっかり図星《ずぼし》をさされて、面くらって左手で頭を掻《か》きました。
「はい実は少少たべすぎたかと存じます。」
「そうだろう。きっとそうにちがいない。よろしい。お前の身分や考えはよく諒解《りょうかい》した。行きなさい。わしはムムネ市の刑事だ。」
 ネネムはそこでやっと安心してていねいにおじぎをして又町の方へ行きました。
 丁度一時間と六分かかって、三ノット三チェーンを歩いたとき、ネネムは一人の百姓のおかみさんばけものと会いました。その人は遠くからいかにも不思議そうな顔をして来ましたが、とうとう泣き出してかけ寄りました。
「まあ、クエクや。よく帰っておいでだね。まあ、お前はわたしを忘れてしまったのかい。ああなさけない。」
 ネネムは少し面くらいましたが、ははあ、これはきっと人ちがいだと気がつきましたので急いで云いました。
「いいえ、おかみさん。私はクエクという人ではありません。私はペンネンネンネンネン・ネネムというのです。」
 するとその橙《だいだい》色の女のばけものはやっと気がついたと見えて俄《にわ》かに泣き顔をやめて云いました。
「これはどうもとんだ失礼をいたしました。あなたのおなりがあんまりせがれそっくりなもんですから。」
「いいえ。どう致《いた》しまして。私は今度はじめてムムネの市に出る処《ところ》です。」
「まあ、そうでしたか。うちのせがれも丁度あなたと同じ年ころでした。まあ、お髪《くし》のちぢれ工合《ぐあい》から、お耳のキラキラする工合、何から何までそっくりです。それにまあ、なめくじばけもの[#「なめくじばけもの」に傍線]のような柔《やわ》らかなおあしに、硬《かた》いはがねのわらじをはいて、なにが御志願でいらしゃるのやら。おお、うちのせがれもこんなわらじでどこを今ごろ、ポオ、ポオ、ポオ、ポオ。」とそのおかみさんばけものは泣き出しました。ネネムは困って、
「ね、おかみさん。あなたのむすこさんは、もうきっとどこかの書記になってるんでしょう。きっとじきお迎《むか》いをよこすにちがいありません。そんなにお泣きなさらなくてもいいでしょう。私は急ぎますからこれで失礼いたします。」と云いながらクラリオネットのようなすすり泣きの声をあとに、急いでそこを立ち去りました。
 さてそれから十五分でネネムはムムネの市までもう三チェーンの所まで来ました。ネネムはそこで髪《かみ》をすっかり直して、それから路《みち》ばたの水銀の流れで顔を洗い、市にはいって行く支度《したく》をしました。
 それからなるべく心を落ちつけてだんだん市に近づきますと、さすがはばけもの世界の首府のけはいは、早くもネネムに感じました。
 ノンノンノンノンノンといううなりは地の〔以下原稿数枚分焼失〕

「今授業中だよ。やかましいやつだ。用があるならはいって来い。」とどなりましたので、学校の建物はぐらぐらしました。
 ネネムはそこで思い切って、なるべく足音を立てないように二階にあがってその教室にはいりました。教室の広いことはまるで野原です。さ
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