思ってもっと見ていますと、そのいやなものはマッチを持ってよちよち歩き出しました。
 赤山のようなばけものの見物は、わいわいそれについて行きます。一人の若いばけものが、うしろから押されてちょっとそのいやなものにさわりましたら、そのフクジロといういやなものはくるりと振り向いて、いきなりピシャリとその若ばけものの頬《ほっ》ぺたを撲《なぐ》りつけました。
 それからいやなものは向うの荒物《あらもの》屋に行きました。その荒物屋というのは、ばけもの歯みがきや、ばけもの楊子《ようじ》や、手拭《てぬぐい》やずぼん、前掛《まえかけ》などまで、すべてばけもの用具一式を売っているのでした。
 フクジロがよちよちはいって行きますと、荒物屋のおかみさんは、怖《こわ》がって逃《に》げようとしました。おかみさんだって顔がまるで獏《ばく》のようで、立派なばけものでしたが、小さくてしわくちゃなフクジロを見ては、もうすっかりおびえあがってしまったのでした。
「おかみさん。フクジロ・マッチ買ってお呉れ。」
 おかみさんはやっと気を落ちつけて云いました。
「いくらですか。ひとつ。」
「十円。」
 おかみさんは泣きそうになりました。
「さあ買ってお呉れ。買わなかったら踊《おどり》をやるぜ。」
「買います、買います。踊の方はいりません。そら、十円。」おかみさんは青くなってブルブルしながら銭函《ぜにばこ》からお金を集めて十円出しました。
「ありがとう。ヘン。」と云いながらそのいやなものは店を出ました。
 そして今度は、となりのばけもの酒屋にはいりました。見物はわいわいついて行きます。酒屋のはげ頭のおじいさんばけもの[#「おじいさんばけもの」に傍線]も、やっぱりぶるぶるしながら十円出しました。
 その隣《となり》はタン屋という店でしたが、ここでも主人が黄色な顔を緑色にしてふるえながら、十円でマッチ一つ買いました。
「これはいかん。実にけしからん。こう云ういやなものが町の中を勝手に歩くということはおれの恥辱《ちじょく》だ。いいからひっくくってしまえ。」とペンネンネンネンネン・ネネムは部下の検事に命令しました。一人の検事がすぐ進んで行ってタン屋の店から出て来るばかりのそのいやなものをくるくる十重《とえ》ばかりにひっくくってしまいました。ペンネンネンネンネン・ネネムがみんなを押《お》し分けて前に出て云いました。
「こら。その方は自分の顔やかたちのいやなことをいいことにして、一つ一銭のマッチを十円ずつに家ごと押しつけてあるく。悪いやつだ。監獄《かんごく》に連れて行くからそう思え。」
 するとそのいやなものは泣き出しました。
「巡査さん。それはひどいよ。僕《ぼく》はいくらお金を貰《もら》ったって自分で一銭もとりはしないんだ。みんな親方がしまってしまうんだよ。許してお呉れ。許してお呉れ。」
 ネネムが云いました。
「そうか。するとお前は毎日ただ引っぱり廻《まわ》されて稼《かせ》がせられる丈《だ》けだな。」
「そうだよ、そうだよ。僕を太夫《たいふ》さんだなんて云いながら、ひどい目にばかりあわすんだよ。ご飯さえ碌《ろく》に呉れないんだよ。早く親方をつかまえてお呉れ。早く、早く。」今度はそのいやなものが俄《にわ》かに元気を出しました。
 そこで
「あの車のとこに居るものを引っくくれ。」とネネムが云いました。丁度出て来た巡査が三人ばかり飛んで行って、車にポカンと腰掛けて居た黒い硬いばけものを、くるくるくるっと縛《しば》ってしまいました。ネネムはいやなものと一緒《いっしょ》にそっちへ行きました。
「こら。きさまはこんなかたわなあわれなものをだしにして、一銭のマッチを十円ずつに売っている。さあ監獄へ連れて行くぞ。」
 親方が泣き出しそうになって口早に云いました。
「お役人さん。そいつぁあんまり無理ですぜ。わしぁ一日|一杯《いっぱい》あるいてますがやっと喰《く》うだけしか貰わないんです。あとはみんな親方がとってしまうんです。」
「ふん、そうか。その親方はどこに居るんだ。」
「あすこに居ます。」
「どれだ。」
「あのまがり角でそらを向いてあくびをしている人です。」
「よし。あいつをしばれ。」まがり角の男は、しばられてびっくりして、口をパクパクやりました。ネネムは二人を連れてそっちへ歩いて行って云いました。
「こらきさまは悪いやつだ。何も文句を云《い》うことはない。監獄にはいれ。」
「これはひどい。一体どうしたのです。ははあ、フクジロもタンイチもしばられたな。その事ならなあに私はただこうやって監督《かんとく》に云いつかって車を見ている丈《だけ》でございます。私は日給三十銭の外に一銭だって貰やしません。」
「ふん。どうも実にいやな事件だ。よし、お前の監督はどこに居るか、云え。」
「向うの電信柱の下で立った
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