て、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押したのだ。
 フランドンのヨークシャイヤも又活版刷りに出来ているその死亡証書を見た。見たというのは、或《あ》る日のこと、フランドン農学校の校長が、大きな黄色の紙を持ち、豚のところにやって来た。豚は語学も余程《よほど》進んでいたのだし、又実際豚の舌は柔《やわ》らかで素質も充分あったのでごく流暢《りゅうちょう》な人間語で、しずかに校長に挨拶《あいさつ》した。
「校長さん、いいお天気でございます。」
 校長はその黄色な証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、にがわらいして斯《こ》う云った。
「うんまあ、天気はいいね。」
 豚は何だか、この語《ことば》が、耳にはいって、それから咽喉につかえたのだ。おまけに校長がじろじろと豚のからだを見ることは全くあの畜産の、教師とおんなじことなのだ。
 豚はかなしく耳を伏せた。そしてこわごわ斯《こ》う云った。
「私はどうも、このごろは、気がふさいで仕方ありません。」
 校長は又にがわらいを、しながら豚に斯う云った。
「ふん。気がふさぐ。そうかい。もう世の中がいやになったかい。そう
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