ころの気分である。さればまことに豚の心もちをわかるには、豚になって見るより致《いた》し方ない。
 外来ヨークシャイヤでも又黒いバアクシャイヤでも豚は決して自分が魯鈍《ろどん》だとか、怠惰《たいだ》だとかは考えない。最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜《イタリア》語だろうか独乙《ドイツ》語だろうか英語だろうか。さあどう表現したらいいか。さりながら、結局は、叫び声以外わからない。カント博士と同様に全く不可知なのである。
 さて豚はずんずん肥《ふと》り、なんべんも寝たり起きたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、毎日来ては鋭《するど》い眼で、じっとその生体量を、計算しては帰って行った。
「も少しきちんと窓をしめて、室中《へやじゅう》暗くしなくては、脂《あぶら》がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろと肥育をやってもよかろうな、毎日|阿麻仁《あまに》を少しずつやって置いて呉《く》れないか。」教師は若い水色の、上着の助手に斯《こ》う云った。豚はこれをすっかり聴《き》いた。そして又大へんいやになっ
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