た。楊子のときと同じだ。折角のその阿麻仁も、どうもうまく咽喉《のど》を通らなかった。これらはみんな畜産の、その教師の語気について、豚が直覚したのである。(とにかくあいつら二人は、おれにたべものはよこすが、時々まるで北極の、空のような眼をして、おれのからだをじっと見る、実に何ともたまらない、とりつきばもないようなきびしいこころで、おれのことを考えている、そのことは恐《こわ》い、ああ、恐い。)豚は心に思いながら、もうたまらなくなり前の柵《さく》を、むちゃくちゃに鼻で突《つ》っ突いた。
ところが、丁度その豚の、殺される前の月になって、一つの布告がその国の、王から発令されていた。
それは家畜|撲殺《ぼくさつ》同意調印法といい、誰《たれ》でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡|承諾書《しょうだくしょ》を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云う布告だったのだ。
さあそこでその頃《ころ》は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強《し》いられて、証文にペタリと印を押《お》したもんだ。ごくとしよりの馬などは、わざわざ蹄鉄《ていてつ》をはずされて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押したのだ。
フランドンのヨークシャイヤも又活版刷りに出来ているその死亡証書を見た。見たというのは、或《あ》る日のこと、フランドン農学校の校長が、大きな黄色の紙を持ち、豚のところにやって来た。豚は語学も余程《よほど》進んでいたのだし、又実際豚の舌は柔《やわ》らかで素質も充分あったのでごく流暢《りゅうちょう》な人間語で、しずかに校長に挨拶《あいさつ》した。
「校長さん、いいお天気でございます。」
校長はその黄色な証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、にがわらいして斯《こ》う云った。
「うんまあ、天気はいいね。」
豚は何だか、この語《ことば》が、耳にはいって、それから咽喉につかえたのだ。おまけに校長がじろじろと豚のからだを見ることは全くあの畜産の、教師とおんなじことなのだ。
豚はかなしく耳を伏せた。そしてこわごわ斯《こ》う云った。
「私はどうも、このごろは、気がふさいで仕方ありません。」
校長は又にがわらいを、しながら豚に斯う云った。
「ふん。気がふさぐ。そうかい。もう世の中がいやになったかい。そう
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