豚の幸福も、あまり永くは続かなかった。
 それから二三日たって、そのフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固《きょうこ》にもち給《たま》え。いいかな。)たべ物の中から、一寸《ちょっと》細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直《そっちょく》に云うならば、ラクダ印の歯磨楊子《はみがきようじ》、それを見たのだ。どうもいやな説教で、折角洗礼を受けた、大学生諸君にすまないが少しこらえてくれ給え。
 豚は実にぎょっとした。一体、その楊子の毛をみると、自分のからだ中の毛が、風に吹《ふ》かれた草のよう、ザラッザラッと鳴ったのだ。豚は実に永い間、変な顔して、眺めていたが、とうとう頭がくらくらして、いやないやな気分になった。いきなり向うの敷藁《しきわら》に頭を埋《う》めてくるっと寝《ね》てしまったのだ。
 晩方になり少し気分がよくなって、豚はしずかに起きあがる。気分がいいと云ったって、結局豚の気分だから、苹果《りんご》のようにさくさくし、青ぞらのように光るわけではもちろんない。これ灰色の気分である。灰色にしてややつめたく、透明《とうめい》なるところの気分である。さればまことに豚の心もちをわかるには、豚になって見るより致《いた》し方ない。
 外来ヨークシャイヤでも又黒いバアクシャイヤでも豚は決して自分が魯鈍《ろどん》だとか、怠惰《たいだ》だとかは考えない。最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜《イタリア》語だろうか独乙《ドイツ》語だろうか英語だろうか。さあどう表現したらいいか。さりながら、結局は、叫び声以外わからない。カント博士と同様に全く不可知なのである。
 さて豚はずんずん肥《ふと》り、なんべんも寝たり起きたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、毎日来ては鋭《するど》い眼で、じっとその生体量を、計算しては帰って行った。
「も少しきちんと窓をしめて、室中《へやじゅう》暗くしなくては、脂《あぶら》がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろと肥育をやってもよかろうな、毎日|阿麻仁《あまに》を少しずつやって置いて呉《く》れないか。」教師は若い水色の、上着の助手に斯《こ》う云った。豚はこれをすっかり聴《き》いた。そして又大へんいやになっ
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