》チェンダというものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としている、釈迦はこの豚肉の為に予《あらかじ》め害したる胃腸を全く救うべからざるものにしたらしい。その為にとうとう八十一歳にしてクシナガラという処に寂滅《じゃくめつ》したのである。仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の行為《こうい》を模範《もはん》とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或《あるい》は二十万分一の縮尺《スケール》に於てこれを習修せよ。然る後に菜食主義もよろしかろう。諸君の如《ごと》き畸形《きけい》の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑《めいわく》であろう。」
拍手はテントもひるがえるばかりでした。
私はこの時あんまりひどい今の語《ことば》に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。
何を云うんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下していました。
陳氏が一番向うでしきりに拍手していました。みんなはまるで野原の花のように見えたのです。私は云いました。
「前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱えたのでありますが遺憾《いかん》乍《なが》ら私は又《また》敬虔《け
前へ
次へ
全76ページ中65ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング