いけん》なる釈尊の弟子《でし》として前論士の所説の誤謬《ごびゅう》を指摘せざるを得ないのであります。先《ま》ず予め茲《ここ》で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗《ふはい》せる日本教権に対して一種|骨董《こっとう》的好奇心を有するだけで決して仏弟子でもなく仏教徒でもないということであります。これその演説中|数多《あまた》如来正※[#「彳+扁」、第3水準1−84−34]知《にょらいしょうへんち》に対してあるべからざる言辞を弄《ろう》したるによって明らかである。特にその最後の言を見よ、地下の釈迦も定めし迷惑であろうと、これ何たる言であるか、何人《なんぴと》か如来を信ずるものにしてこれを地下にありというものありや、我等は決して斯《かく》の如《ごと》き仏弟子の外皮を被《かぶ》り貢高邪曲《ぐこうじゃきょく》の内心を有する悪魔《あくま》の使徒を許すことはできないのである。見よ、彼は自らの芥子《けし》の種子ほどの智識を以《もっ》てかの無上土を測ろうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥《は》ずる処であるが実証の為にこれを指摘《してき》するならば彼は斯う云っている。クリスト教国に生
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