精進《しょうじん》苦行した。一日米の実一|粒《つぶ》亜麻の実一粒を食したのである。されども遂《つい》にその苦行の無益を悟《さと》り山を下りて川に身を洗い村女の捧《ささ》げたるクリームをとりて食し遂に法悦《エクスタシー》を得たのである。今日《こんにち》牛乳や鶏卵《けいらん》チーズバターをさえとらざるビジテリアンがある。これらは若《も》し仏教徒ならば論を俟《ま》たず、仏教徒ならざるも又|大《おおい》に参考に資すべきである。更に釈迦は集り来《きた》れる多数の信者に対して決して肉食を禁じなかった。五種|浄肉《じょうにく》となづけてあまり残忍なる行為《こうい》によらずして得たる動物の肉はこれを食することを許したのである。今日のビジテリアンは実に印度《インド》の古《いにしえ》の聖者たちよりも食物のある点に就《つい》て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形《きけい》である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定したる他の律法に一も従っていない。特にビジテリアン諸氏よくこれを銘記《めいき》せよ。釈迦はその晩年、その思想いよいよ円熟するに従て全く菜食主義者ではなかったようである。見よ、釈迦は最後に鍛工《たんこう
前へ
次へ
全76ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング