ジテリアンですね。」と陳さんが大笑いをしながら申しました。
 ところがその拍手のまだ鳴りやまないうちにもう異教徒席の中から瘠《や》せぎすの神経質らしい人が祭壇にかけ上りました。その人は手をぶるぶる顫わせ眼もひきつっているように見えました。それでもコップの水を呑《の》んで少し落ち着いたらしく一足進んで演説をはじめました。
「マットン博士の神学はクリスト教神学である。且《か》つその摂理の解釈に於て少しく遺憾の点のあったことは全く前論士の如くである。然しながら茲《ここ》に集られたビジテリアン諸氏中約一割の仏教徒のあることを私は知っている。私も又実は仏教徒である。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以《ゆえん》はどうしても仏教が深遠だからである。自分は阿弥陀仏《あみだぶつ》の化身《けしん》親鸞僧正《しんらんそうじょう》によって啓示《けいじ》されたる本願寺派の信徒である。則《すなわ》ち私は一仏教徒として我が同朋《どうぼう》たるビジテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行わるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾《むじゅん》である。みな罪悪である。吾
前へ 次へ
全76ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング