。飼犬《かいいぬ》が主人の少年の病死の時その墓を離れず食物もとらずとうとう餓死《がし》した有名な例、鹿《しか》や猿《さる》の子が殺されたときそれを慕《した》って親もわざと殺されることなど誰《たれ》でも知っています。馬が何年もその主人を覚えていて偶《たま》に会ったとき涙《なみだ》を流したりするのです。前論者の、ビジテリアンは人間の感情を以《もっ》て強て動物を律しようとするというのに対して、私は実に反対者たちは動物が人間と少しばかり形が違っているのに眼を欺《あざむ》かれてその本心から起って来る哀憐《あいれん》の感情をなくしているとご忠告申し上げたいのであります。誰だって自分の都合《つごう》のいいように物事を考えたいものではありますがどこ迄もそれで通るものではありません。元来私どもの感情はそう無茶苦茶に間違っているものではないのでありましてどうしても本心から起って来る心持は全く客観的に見てその通りなのであります。動物は全く可哀《かあい》そうなもんです。人もほんとうに哀《あわ》れなものです。私は全論士にも少し深く上調子でなしに世界をごらんになることを望みます。」
 拍手が強く起りました。拍手の
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