テリアンの主張は全然|誤謬《ごびゅう》である。今これを生物分類学的に簡単に批判して見よう。ビジテリアンたちは、動物が可哀そうだという、一体どこ迄《まで》が動物でどこからが植物であるか、牛やアミーバーは動物だからかあいそう、バクテリヤは植物だから大丈夫《だいじょうぶ》というのであるか。バクテリヤを植物だ、アミーバーを動物だとするのは、ただ研究の便宜《べんぎ》上、勝手に名をつけたものである。動物には意識があって食うのは気の毒だが、植物にはないから差し支《つか》えないというのか。なるほど植物には意識がないようにも見える。けれどもないかどうかわからない、あるようだと思って見ると又《また》実にあるようである。元来生物界は、一つの連続である、動物に考があれば、植物にもきっとそれがある。ビジテリアン諸君、植物をたべることもやめ給《たま》え。諸君は餓死する。又世界中にもそれを宣伝したまえ。二十億人がみんな死ぬ。大へんさっぱりして諸君の御希望に叶《かな》うだろう。そして、そのあとで動物や植物が、お互同志食ったり食われたりしていたら、丁度いいではないか。」
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 私はなおさら変な気が
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