》チェンダというものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としている、釈迦はこの豚肉の為に予《あらかじ》め害したる胃腸を全く救うべからざるものにしたらしい。その為にとうとう八十一歳にしてクシナガラという処に寂滅《じゃくめつ》したのである。仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の行為《こうい》を模範《もはん》とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或《あるい》は二十万分一の縮尺《スケール》に於てこれを習修せよ。然る後に菜食主義もよろしかろう。諸君の如《ごと》き畸形《きけい》の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑《めいわく》であろう。」
 拍手はテントもひるがえるばかりでした。
 私はこの時あんまりひどい今の語《ことば》に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。
 何を云うんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下していました。
 陳氏が一番向うでしきりに拍手していました。みんなはまるで野原の花のように見えたのです。私は云いました。
「前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱えたのでありますが遺憾《いかん》乍《なが》ら私は又《また》敬虔《けいけん》なる釈尊の弟子《でし》として前論士の所説の誤謬《ごびゅう》を指摘せざるを得ないのであります。先《ま》ず予め茲《ここ》で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗《ふはい》せる日本教権に対して一種|骨董《こっとう》的好奇心を有するだけで決して仏弟子でもなく仏教徒でもないということであります。これその演説中|数多《あまた》如来正※[#「彳+扁」、第3水準1−84−34]知《にょらいしょうへんち》に対してあるべからざる言辞を弄《ろう》したるによって明らかである。特にその最後の言を見よ、地下の釈迦も定めし迷惑であろうと、これ何たる言であるか、何人《なんぴと》か如来を信ずるものにしてこれを地下にありというものありや、我等は決して斯《かく》の如《ごと》き仏弟子の外皮を被《かぶ》り貢高邪曲《ぐこうじゃきょく》の内心を有する悪魔《あくま》の使徒を許すことはできないのである。見よ、彼は自らの芥子《けし》の種子ほどの智識を以《もっ》てかの無上土を測ろうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥《は》ずる処であるが実証の為にこれを指摘《してき》するならば彼は斯う云っている。クリスト教国に生
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