等《われら》の心象中|微塵《みじん》ばかりも善の痕跡《こんせき》を発見することができない。この世界に行わるる吾等の善なるものは畢竟《ひっきょう》根のない木である。吾等の感ずる正義なるものは結局自分に気持がいいというだけの事である。これは斯《こ》うでなければいけないとかこれは斯うなればよろしいとかみんなそんなものは何にもならない。動物がかあいそうだから喰べないなんということは吾等には云えたことではない。実にそれどころではないのである。ただ遥《はる》かにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界を離《はな》るべきである。それ然る後に於て菜食主義もよろしいのである。この事柄《ことがら》は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行い爾来《じらい》わが本願寺は代々これを行っている。日本信者の形容を以《もっ》てすれば一つの壺《つぼ》の水を他の一つの壺に移すが如くに肉食を継承《けいしょう》しているのである。次にまた仏教の創設者|釈迦牟尼《しゃかむに》を見よ。釈迦は出離《しゅつり》の道を求めんが為《ため》に檀特山《だんどくせん》と名《なづ》くる林中に於て六年|精進《しょうじん》苦行した。一日米の実一|粒《つぶ》亜麻の実一粒を食したのである。されども遂《つい》にその苦行の無益を悟《さと》り山を下りて川に身を洗い村女の捧《ささ》げたるクリームをとりて食し遂に法悦《エクスタシー》を得たのである。今日《こんにち》牛乳や鶏卵《けいらん》チーズバターをさえとらざるビジテリアンがある。これらは若《も》し仏教徒ならば論を俟《ま》たず、仏教徒ならざるも又|大《おおい》に参考に資すべきである。更に釈迦は集り来《きた》れる多数の信者に対して決して肉食を禁じなかった。五種|浄肉《じょうにく》となづけてあまり残忍なる行為《こうい》によらずして得たる動物の肉はこれを食することを許したのである。今日のビジテリアンは実に印度《インド》の古《いにしえ》の聖者たちよりも食物のある点に就《つい》て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形《きけい》である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定したる他の律法に一も従っていない。特にビジテリアン諸氏よくこれを銘記《めいき》せよ。釈迦はその晩年、その思想いよいよ円熟するに従て全く菜食主義者ではなかったようである。見よ、釈迦は最後に鍛工《たんこう
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