後、すぐ六人ともカナダの北境を探険するという話でした。私たちは、船を下りると、すぐ旅装《りょそう》を調えて、ヒルテイの村に出発したのであります。実は私は日本から出ました際には、ニュウファウンドランドへさえ着いたら、誰《たれ》の眼《め》もみなそのヒルテイという村の方へ向いてるだろう、世界中から集った旅人が、ぞろぞろそっちへ行くのだろうから、もうすぐ路《みち》なんかわかるだろうと思って居《お》りました。ところが、船の中でこそ、遇然《ぐうぜん》トルコ人六人とも知り合いになったようなもの、実際トリニテイの町に下りて見ると、どこにもそんなビラが張ってあるでもなし、ヒルテイという名を云う人も一人だってあるでなし、実は私も少し意外に感じたので〔以下原稿数枚なし〕
は町をはなれて、海岸の白い崖《がけ》の上の小さなみちを行きました、そらが曇《くも》って居りましたので大西洋がうすくさびたブリキのように見え、秋風は白いなみがしらを起し、小さな漁船はたくさんならんで、その中を行くのでした。落葉松《からまつ》の下枝《したえだ》は、もう褐色《かっしょく》に変っていたのです。
トルコ人たちは、みちに出ている岩にかなづちをあてたり、がやがや話し合ったりして行きました。私はそのあとからひとり空虚《から》のトランクを持って歩きました。一時間半ばかり行ったとき、私たちは海に沿った一つの峠《とうげ》の頂上に来ました。
「もうヒルテイの村が見える筈《はず》です。」団長の地学博士が私の前に来て、地図を見ながら英語で云いました。私たちは向うを注意してながめました。ひのきの一杯《いっぱい》にしげっている谷の底に、五つ六つ、白い壁《かべ》が見えその谷には海が峡湾《きょうわん》のような風にまっ蒼《さお》に入り込《こ》んでいました。
「あれがヒルテイの村でしょうか。」私は団長にたずねました。団長は、しきりに地図と眼の前の地形とくらべていましたが、しばらくたって眼鏡《めがね》をちょっと直しながら、
「そうです。あれがヒルテイの村です。私たちの教会は、多分あの右から三番目に見える平屋根の家でしょう。旗か何か立っているようです。あすこにデビスさんが、住んでいられるんですね。」
デビスというのは、ご存知の方もありましょうが、私たちの派のまあ長老です、ビジテリアン月報の主筆で、今度の大祭では祭司長になった人であります。そこ
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