というものを建てたり、いろいろなことをしています。
 以上は、まあ、ビジテリアンをその精神から大きく二つにわけたのでありますが、又一方これをその実行の方法から分類しますと、三つになります。第一に、動物質のものは全く喰べてはいけないと、則ち獣《けもの》や魚やすべて肉類はもちろん、ミルクや、またそれからこしらえたチーズやバター、お菓子《かし》の中でも鶏卵《けいらん》の入ったカステーラなど、一切いけないという考の人たち、日本ならばまあ、一寸《ちょっと》鰹《かつお》のだしの入ったものもいけないという考のであります。この方法は同情派にも予防派にもありますけれども大部分は予防派の人たちがやります。第二のは、チーズやバターやミルク、それから卵などならば、まあものの命をとるというわけではないから、さし支《つか》えない、また大してからだに毒になるまいというので、割合|穏健《おんけん》な考であります。第三は私たちもこの中でありますが、いくら物の命をとらない、自分ばかりさっぱりしていると云ったところで、実際にほかの動物が辛《つら》くては、何にもならない、結局はほかの動物がかあいそうだからたべないのだ、小さな小さなことまで、一一|吟味《ぎんみ》して大へんな手数をしたり、ほかの人にまで迷惑《めいわく》をかけたり、そんなにまでしなくてもいい、もしたくさんのいのちの為《ため》に、どうしても一つのいのちが入用なときは、仕方ないから泣きながらでも食べていい、そのかわりもしその一人が自分になった場合でも敢《あえ》て避《さ》けないとこう云うのです。けれどもそんな非常の場合は、実に実に少いから、ふだんはもちろん、なるべく植物をとり、動物を殺さないようにしなければならない、くれぐれも自分一人気持ちをさっぱりすることにばかりかかわって、大切の精神を忘れてはいけないと斯《こ》う云うのであります。
 そこで、大体ビジテリアンというものの性質はおわかりでしょうから、これから昨年のその大祭のときのもようをお話いたします。
 私がニュウファウンドランドの、トリニテイの港に着きましたのは、恰度《ちょうど》大祭の前々日でありました。事によると、間に合わないと思ったのが、うまい工合《ぐあい》に参りましたので、大へんよろこびました。トルコからの六人の人たちと、船の中で知り合いになりました。その団長は、地学博士でした。大祭に参加
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