そっと西風にたのんでこう言《い》いました。
「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮《やばん》なんです。礼式《れいしき》も何も知らないのです。実際《じっさい》私はいつでも困《こま》ってるんですよ」
軽便鉄道《けいべんてつどう》のシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低《ひく》く、
「あら、そんなことございませんわ」と言《い》いましたがなにぶん風下《かざしも》でしたから本線《ほんせん》のシグナルまで聞こえませんでした。
「許《ゆる》してくださるんですか。本当を言ったら、僕《ぼく》なんかあなたに怒《おこ》られたら生きているかいもないんですからね」
「あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困《こま》ったというように肩《かた》をすぼめましたが、実《じつ》はその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光《しろびかり》を出していました。
「シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次《つぎ》の十時の汽車が来る時|腕《うで》を下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言《い》っていた風が、この時ぴたりとやみました。
「あら、そんな事《こと》いけませんわ」
「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言《い》うんです。僕あなたくらい大事《だいじ》なものは世界中《せかいじゅう》ないんです。どうか僕を愛《あい》してください」
シグナレスは、じっと下の方を見て黙《だま》って立っていました。本線シグナルつきのせいの低《ひく》い電信柱《でんしんばしら》は、まだでたらめの歌をやっています。
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「ゴゴンゴーゴー、
やまのいわやで、
熊《くま》が火をたき、
あまりけむくて、
ほらを逃《に》げ出す。ゴゴンゴー、
田螺《にし》はのろのろ。
うう、田螺はのろのろ。
田螺のしゃっぽは、
羅紗《ラシャ》の上等《じょうとう》、ゴゴンゴーゴー」
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本線《ほんせん》のシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事《へんじ》のないのに、まるであわててしまいました。
「シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんです
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