らでした。その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央|分水嶺《ぶんすゐれい》の麓《ふもと》まで、一枚の板のやうになってずうっとひろがって居ました。たゞその大部分がその上に積った洪積の赤砂利や※[#「土+盧」、第3水準1−15−68]※[#「土+母」、102−13]《ローム》、それから沖積の砂や粘土や何かに被《おほ》はれて見えないだけのはなしでした。
それはあちこちの川の岸や崖《がけ》の脚には、きっとこの泥岩が顔を出してゐるのでもわかりましたし、又所々で掘り抜き井戸を穿《うが》ったりしますと、ぢきこの泥岩層にぶっつかるのでもしれました。
第二に、この泥岩は、粘土と火山灰とまじったもので、しかもその大部分は静かな水の中で沈んだものなことは明らかでした。たとへばその岩には沈んでできた縞《しま》のあること、木の枝や茎のかけらの埋もれてゐること、ところどころにいろいろな沼地に生える植物が、もうよほど炭化してはさまってゐること、また山の近くには細かい砂利のあること、殊に北上山地のヘりには所々この泥岩層の間に砂丘の痕《あと》らしいものがはさまってゐることなどでした。さうして見
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