れるものですから、何とも云《い》へず青白くさっぱりしてゐました。
 所々には、水増しの時できた小さな壺穴《つぼあな》の痕《あと》や、またそれがいくつも続いた浅い溝《みぞ》、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆《あし》きれだのが、一列にならんでゐて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。
 日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠《かむ》ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊《はくあ》の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。
 町の小学校でも石の巻の近くの海岸に十五日も生徒を連れて行きましたし、隣りの女学校でも臨海学校をはじめてゐました。
 けれども私たちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上の河谷の上流の方にばかり居た私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです。
 それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃《ころ》、たしかにたびたび海の渚《なぎさ》だったか
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