隻も用意したのを見てどこか大へん力強い感じもしました。それから私たちは養蚕の用もありましたので急いで学校に帰りました。
その次には私たちはたゞ五人で行きました。
はじめはこの前の湾のところだけ泳いでゐましたがそのうちだんだん川にもなれて来て、ずうっと上流の波の荒い瀬のところから海岸のいちばん南のいかだのあるあたりへまでも行きました。そして、疲れて、おまけに少し寒くなりましたので、海岸の西の堺《さかひ》のあの古い根株やその上につもった軽石の火山礫層《くゎざんれきそう》の処に行きました。
その日私たちは完全なくるみの実も二つ見附けたのです。火山礫の層の上には前の水増しの時の水が、沼のやうになって処々|溜《たま》ってゐました。私たちはその溜り水から堰《せき》をこしらへて滝にしたり発電処のまねをこしらへたり、こゝはオーバアフロウだの何の永いこと遊びました。
その時、あの下流の赤い旗の立ってゐるところに、いつも腕に赤いきれを巻きつけて、はだかに半纒《はんてん》だけ一枚着てみんなの泳ぐのを見てゐる三十ばかりの男が、一|梃《ちゃう》の鉄梃《かなてこ》をもって下流の方から溯《さかのぼ》って来る
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