《こ》う叫《さけ》んでいました。
(そうです。そうです。そうですとも。いかにも私の景色です。私なのです。だから仕方《しかた》がないのです。)諒安はうとうと斯《こ》う返事《へんじ》しました。
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(これはこれ
惑《まど》う木立《こだち》の
中ならず
しのびをならう
春の道場)
[#ここで字下げ終わり]
どこからかこんな声がはっきり聞えて来ました。諒安《りょうあん》は眼《め》をひらきました。霧《きり》がからだにつめたく浸《し》み込《こ》むのでした。
全《まった》く霧は白く痛《いた》く竜《りゅう》の髯《ひげ》の青い傾斜《けいしゃ》はその中にぼんやりかすんで行きました。諒安はとっととかけ下りました。
そしてたちまち一本の灌木《かんぼく》に足をつかまれて投《な》げ出すように倒《たお》れました。
諒安はにが笑《わら》いをしながら起《お》きあがりました。
いきなり険《けわ》しい灌木の崖《がけ》が目の前に出ました。
諒安はそのくろもじの枝《えだ》にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂《におい》を霧に送《おく》り霧は俄《にわ》かに乳《ちち》いろの柔《やわ》らかなやさしいものを諒安によこしました。
諒安はよじのぼりながら笑いました。
その時霧は大へん陰気《いんき》になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑《わら》いを投《な》げました。そこで霧はさっと明るくなりました。
そして諒安はとうとう一つの平《たい》らな枯草《かれくさ》の頂上《ちょうじょう》に立ちました。
そこは少し黄金《きん》いろでほっとあたたかなような気がしました。
諒安は自分のからだから少しの汗《あせ》の匂《にお》いが細い糸のようになって霧の中へ騰《のぼ》って行くのを思いました。その汗という考から一|疋《ぴき》の立派《りっぱ》な黒い馬がひらっと躍《おど》り出して霧の中へ消《き》えて行きました。
霧が俄《にわ》かにゆれました。そして諒安《りょうあん》はそらいっぱいにきんきん光って漂《ただよ》う琥珀《こはく》の分子のようなものを見ました。それはさっと琥珀から黄金に変《かわ》りまた新鮮《しんせん》な緑《みどり》に遷《うつ》ってまるで雨よりも滋《しげ》く降《ふ》って来るのでした。
いつか諒安の影《かげ》がうすくかれ草の上に落《お》ちていました。一きれのいいかおり
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