ずく》がぽたぽた落ちる。
 かすかなけはいが藪のかげからのぼってくる。今夜市庁のホールでうたうマリヴロン女史がライラックいろのもすそをひいてみんなをのがれて来たのである。
 いま、そのうしろ、東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと通って、大きな虹《にじ》が、明るい夢《ゆめ》の橋のようにやさしく空にあらわれる。
 少女は楽譜をもったまま化石のようにすわってしまう。マリヴロンはここにも人の居たことをむしろ意外におもいながらわずかにまなこに会釈《えしゃく》してしばらく虹のそらを見る。
 そうだ。今日こそ、ただの一言でも天の才ありうるわしく尊敬されるこの人とことばをかわしたい、丘《おか》の小さなぶどうの木が、よぞらに燃えるほのおより、もっとあかるく、もっとかなしいおもいをば、はるかの美しい虹に捧《ささ》げると、ただこれだけを伝えたい、それからならば、それからならば、あの……〔以下数行分空白〕 

「マリヴロン先生。どうか、わたくしの尊敬をお受けくださいませ。わたくしはあすアフリカへ行く牧師の娘《むすめ》でございます。」
 少女は、ふだんの透《す》きとおる声もどこかへ行って、しわがれた声を風に
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