とっこべとら子
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)おとら狐《ぎつね》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)千両|函《ばこ》
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 おとら狐《ぎつね》のはなしは、どなたもよくご存じでしょう。おとら狐にも、いろいろあったのでしょうか、私の知っているのは、「とっこべ、とら子」というのです。
「とっこべ」というのは名字でしょうか。「とら」というのは名前ですかね。そうすると、名字がさまざまで、名前がみんな「とら」という狐が、あちこちに住んでいたのでしょうか。
 さて、むかし、とっこべとら子は大きな川の岸に住んでいて、夜、網打ちに行った人から魚を盗《と》ったり、買物をして町から遅く帰る人から油揚げを取りかえしたり、実に始末におえないものだったそうです。
 慾《よく》ふかのじいさんが、ある晩ひどく酔っぱらって、町から帰って来る途中、その川岸を通りますと、ピカピカした金らんの上下《かみしも》の立派なさむらいに会いました。じいさんは、ていねいにおじぎをして行き過ぎようとしましたら、さむらいがピタリととまって、ちょっとそらを見上げて、それからあごを引いて、六平を呼び留めました。秋の十五夜でした。
「あいや、しばらく待て。そちは何と申す」
「へいへい。私は六平と申します」
「六平とな。そちは金貸しを業《わざ》と致しおるな」
「へいへい。御意《ぎょい》の通りでございます。手元の金子《きんす》は、すべて、只今《ただいま》ご用立致しております」
「いやいや、拙者《せっしゃ》が借りようと申すのではない。どうじゃ。金貸しは面白かろう」
「へい、御冗談、へいへい。御意の通りで」
「拙者に少しく不用の金子がある。それに遠国に参る所じゃ。預かっておいてもらえまいか。もっとも拙者も数々敵を持つ身じゃ。万一途中相果てたなれば、金子はそのままそちに遣わす。どうじゃ」
「へい。それはきっとお預かりいたしまするでございます」
「左様か。あいや。金子はこれにじゃ。そち自ら蓋《ふた》を開いて一応改めくれい。エイヤ。はい。ヤッ」さむらいはふところから白いたすきを取り出して、たちまち十字にたすきをかけ、ごわりと袴《はかま》のもも立ちを取り、とんとんとんと土手の方へ走りましたが、ちょっとかがんで土手のかげから、千両ばこを一つ持って参りました。
 ははあ、こいつはきっと泥棒だ、そうでなければにせ金使い、しかし何でもかまわない、万一途中相果てたなれば、金はごろりとこっちのものと、六平はひとりで考えて、それからほくほくするのを無理にかくして申しました。
「へい。へい。よろしゅうござります。御意の通り一応お改めいたしますでござります」
 蓋を開くと中に小判が一ぱいつまり、月にぎらぎらかがやきました。
 ハイ、ヤッとさむらいは千両|函《ばこ》を又一つ持って参りました。六平はもっともらしく又あらためました。これも小判が一ぱいで月にぎらぎらです。ハイ、ヤッ、ハイヤッ、ハイヤッ。千両ばこはみなで十ほどそこに積まれました。
「どうじゃ。これだけをそち一人で持ち参れるのかの。もっともそちの持てるだけ預けることといたそうぞよ」
 どうもさむらいのことばが少し変でしたし、そしてたしかに変ですが、まあ六平にはそんなことはどうでもよかったのです。
「へい。へい。何の千両ばこの十やそこばこ、きっときっと持ち参るでござりましょう」
「うむ。左様か。しからば。いざ。いざ、持ち参れい」
「へいへい。ウントコショ、ウントコショ、ウウントコショ。ウウウントコショ」
「豪儀じゃ、豪儀じゃ、そちは左程《さほど》になけれども、そちの身に添う慾心が実《げ》に大力じゃ。大力じゃのう。ほめ遣わす。ほめ遣わす。さらばしかと預けたぞよ」
 さむらいは銀扇をパッと開いて感服しましたが、六平は余りの重さに返事も何も出来ませんでした。
 さむらいは扇をかざして月に向って、
「それ一芸あるものはすがたみにくし」と何だか謡曲のような変なものを低くうなりながら向うへ歩いて行きました。
 六平は十の千両ばこをよろよろしょって、もうお月さまが照ってるやら、路《みち》がどう曲ってどう上ってるやら、まるで夢中で自分の家までやってまいりました。そして荷物をどっかり庭におろして、おかしな声で外から怒鳴りました。
「開けろ開けろ。お帰りだ。大尽さまのお帰りだ」
 六平の娘が戸をガタッと開けて、
「あれまあ、父さん。そったに砂利しょて何しただす」と叫びました。
 六平もおどろいておろしたばかりの荷物を見ましたら、おやおや、それはどての普請の十の砂利俵でした。
 六平はクウ、クウ、クウと鳴って、白い泡《あわ》をはいて気絶しました。それからもうひどい熱病になって、二か月の間というもの、
「とっこべとら子に、だま
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