す。
ある大きな本家では、いつも旧《きゅう》の八月のはじめに、如来《にょらい》さまのおまつりで分家の子供らをよぶのでしたが、ある年その一人の子が、はしかにかかってやすんでいました。
「如来さんの祭《まつ》りへ行きたい。如来さんの祭りへ行きたい」と、その子は寝《ね》ていて、毎日毎日|言《い》いました。
「祭《まつ》り延《の》ばすから早くよくなれ」本家のおばあさんが見舞《みま》いに行って、その子の頭をなでて言いました。
その子は九月によくなりました。
そこでみんなはよばれました。ところがほかの子供《こども》らは、いままで祭りを延ばされたり、鉛《なまり》の兎《うさぎ》を見舞いにとられたりしたので、なんともおもしろくなくてたまりませんでした。
「あいつのためにひどいめにあった。もう今日は来ても、どうしたってあそばないぞ」と約束《やくそく》しました。
「おお、来たぞ、来たぞ」みんながざしきであそんでいたとき、にわかに一人が叫《さけ》びました。
「ようし、かくれろ」みんなは次《つぎ》の、小さなざしきへかけ込《こ》みました。
そしたらどうです。そのざしきのまん中に、今やっと来たばっかりのはずの、あのはしかをやんだ子が、まるっきりやせて青ざめて、泣《な》きだしそうな顔をして、新しい熊《くま》のおもちゃを持《も》って、きちんとすわっていたのです。
「ざしきぼっこだ」一人が叫んでにげだしました。みんなもわあっとにげました。ざしきぼっこは泣きました。
こんなのがざしきぼっこです。
また、北上《きたかみ》川の朗妙寺《ろうみょうじ》の淵《ふち》の渡《わた》し守《もり》が、ある日わたしに言いました。
「旧暦《きゅうれき》八月十七日の晩《ばん》、おらは酒《さけ》のんで早く寝《ね》た。おおい、おおいと向《む》こうで呼《よ》んだ。起《お》きて小屋《こや》から出てみたら、お月さまはちょうどそらのてっぺんだ。おらは急《いそ》いで舟《ふね》だして、向こうの岸《きし》に行ってみたらば、紋付《もんつき》を着《き》て刀《かたな》をさし、袴《はかま》をはいたきれいな子供《こども》だ。たった一人で、白緒《しろお》のぞうりもはいていた。渡《わた》るかと言《い》ったら、たのむと言《い》った。子どもは乗《の》った。舟《ふね》がまん中ごろに来たとき、おらは見ないふりしてよく子供を見た。きちんと膝《ひざ》に手を
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