くらかけの雪
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしやぽしやしたり黝《くす》んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母《かうぼ》のふうの
朧《おぼ》ろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風《こふう》な信仰です)
[#地付き](一九二二、一、六)
[#改ページ]
日輪と太市
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面《めん》を
どんどん侵してかけてゐる
吹雪《フキ》も光りだしたので
太市は毛布《けつと》の赤いズボンをはいた
[#地付き](一九二二、一、九)
[#改ページ]
丘の眩惑
ひとかけづつきれいにひかりながら
そらから雪はしづんでくる
電《でん》しんばしらの影の藍※[#「(靜−爭)+定」、第4水準2−91−94]《インデイゴ》や
ぎらぎらの丘の照りかへし
あすこの農夫の合羽《かつぱ》のはじが
どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
一千八百十年|代《だい》の
佐野喜の木版に相当する
野はらのはてはシベリヤの天|末《まつ》
土耳古|玉製玲瓏《ぎよくせいれいろう》のつぎ目も光り
(お日さまは
そらの遠くで白い火を
どしどしお焚きなさいます)
笹の雪が
燃え落ちる 燃え落ちる
[#地付き](一九二二、一、一二)
[#改ページ]
カーバイト倉庫
まちなみのなつかしい灯とおもつて
いそいでわたくしは雪と蛇紋岩《サーベンタイン》との
山峡《さんけふ》をでてきましたのに
これはカーバイト倉庫の軒
すきとほつてつめたい電燈です
(薄明《はくめい》どきのみぞれにぬれたのだから
巻烟草に一本火をつけるがいい)
これらなつかしさの擦過は
寒さからだけ来たのでなく
またさびしいためからだけでもない
[#地付き](一九二二、一、一二)
[#改ページ]
コバルト山地
コバルト山地《さんち》の氷霧《ひようむ》のなかで
あやしい朝の火が燃えてゐます
毛無森《けなしのもり》のきり跡あたりの見当《けんたう》です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えてゐます
[#地付き](一九二二、一、二二)
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ぬすびと
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱《らん》反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
[#地付き](一九二二、三、二)
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恋と病熱
けふはぼくのたましひは疾み
烏《からす》さへ正視ができない
あいつはちやうどいまごろから
つめたい青銅《ブロンヅ》の病室で
透明|薔薇《ばら》の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
[#地付き](一九二二、三、二〇)
[#改ページ]
春と修羅
(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲《てんごく》模様
(正午の管楽《くわんがく》よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾《つばき》し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路《めぢ》をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃《せいはり》の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素《エーテル》を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはこ
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