がひます。
それは全く熱いくらゐまで冷たく
味のないくらゐまで苦く
青黒さがすきとほるまでかなしいのです。

そこに堕ちた人たちはみな叫びます
わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか
堕ちたといふことがあるのかと。
全くさうです、誰がはじめから信じませう。
それでもたうとう信ずるのです。
そして一そうかなしくなるのです。

こんなことを今あなたに云ったのは
あなたが堕ちないためにでなく
堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
誰でもみんな見るのですし また
いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
次いで人人と一緒に飛騰しますから。
[#地付き](一九二二ヽ五ヽ二一ヽ)
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  厨川停車場


(もうすっかり夕方ですね。)
けむりはビール瓶のかけらなのに、
それらは苹果酒《サイダー》でいっぱいだ。
(ぢゃ、さよなら。)
砂利は北上山地製、
(あ、僕、車の中へマント忘れた。
すっかりはなしこんでゐて。)

(あれは有名な社会主義者だよ。
 何回か東京で引っぱられた。)
髪はきれいに分け、
まだはたち前なのに、
三十にも見えるあの老けやうとネクタイの鼠縞。

(えゝと、済みませんがね、
 ぼろぼろの繻子のマント、
 あの汽車へ忘れたんですが。)
(何ばん目の車です。)………
 (二等の前の車だけぁな。)

Larix, Larix, Larix,
青い短い針を噴き、
夕陽はいまは空いっぱいのビール、
くわくこうは あっちでもこっちでも、
ぼろぼろになり 紐になって啼いてゐる。
[#地付き](一九二二ヽ六ヽ二ヽ)
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  青森挽歌 三


仮睡硅酸の溶け残ったもやの中に
つめたい窓の硝子から
あけがた近くの苹果の匂が
透明な紐になって流れて来る。
それはおもてが軟玉と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯でいっぱいだから
巻積雲のはらわたまで
月のあかりは浸みわたり
それはあやしい蛍光板になって
いよいよあやしい匂か光かを発散し
なめらかに硬い硝子さへ越えて来る。
青森だからといふのではなく
大てい月がこんなやうな暁ちかく
巻積雲にはひるとき
或いは青ぞらで溶け残るとき
必ず起る現象です。
私が夜の車室に立ちあがれば
みんなは大ていねむってゐる。
その右側の中ごろの席
青ざめたあけ方の孔雀のはね
やはらかな草いろの夢をくわらすのは
とし子、おまへのやうに見える。

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