竜宮の犬
宮原晃一郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)或《ある》田舎に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その時|鷹《たか》に

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)めい/\
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 或《ある》田舎に貧乏な爺《ぢい》さんと、婆《ばあ》さんとが二人きりで暮してをりました。耕す畑も田もないから、仕方なく爺さんは楊枝《やうじ》、歯磨《はみが》き、洗粉《あらひこ》などを行商して、いくらかのお銭《あし》を取り、婆さんは他人の洗濯《せんたく》や針仕事を頼まれて、さびしい暮しをつゞけてをりました。
 すると或年の秋も末になり、紅葉《もみぢ》が綺麗《きれい》に色づき、柿《かき》の実があかく熟《う》れて、風の寒い夕方、爺さんが商売から帰り途《みち》に、多勢の人が集まつて、何やら声高に罵《ののし》り騒いでをりますから、何だらうかと一寸《ちよつと》覗《のぞ》いてみますと、一羽の年寄つた牝鶴《めづる》が、すつかり羽をいためて其処《そこ》に降りてゐるのでした。集つた人達《ひとたち》はその鶴を捕つてやらうとしましたが、皆《みんな》めい/\自分こそは真先《まつさき》に見付けたのだから、自分が捕るのが当然だと言ひ張つて、果《はて》しがつかず、ガヤ/\と騒いでをるのでした。爺さんは慈悲心の深い人でしたから、これを見ると可哀《かはい》さうで堪《たま》らなくなりました。そこで爺さんは人混みを押分けて前に出て申しました――
「マア/\皆さん、ちよつと私《わたし》のいふことを聞いて下さい。一体鶴は千年の齢《よはひ》をもつといふものですから、この鶴は未《ま》だ/\永く生きのびることが出来ます。それだのに、あなたがたがこれを捕り、殺して喰《た》べたところで、たゞ一時おいしいと思ふだけで、何にもなりません。又これを他人に売つたところが大した金にもなりません。そして買つた人は矢張りそれを殺して喰べるでせう。そんな殺生をするよりか、これを助けて、逃がしてやつた方が、立派な功徳になります。どうぞこの鶴は私に売つて下さい。私はたんとお金も持つてはゐませんけれど、今日の売り溜《だ》めを皆《みんな》あげますから、それを、あなたがた、この鶴を見付けた人達の間で分けて、鶴は私に下さい。若《も》し又それでもお銭《あし》が足りないなら明日《あした》の夕方まで待つて下さい。」
 爺さんが言葉を尽して説くものですから、その人達も納得して鶴を爺さんに売つてしまひました。
 爺さんは「これは善いことをした。」と、嬉《うれ》しく思ひながら、その鶴をもつて家《うち》へ帰りました。
「婆さん/\。今帰つた。今日は売り溜《だめ》のお銭《あし》は一文も持つて来なかつたが、その代り迚《とて》も幾百両だしても買へない善《い》いお土産をもつて来た。何だか当てゝみなさい。」
 爺さんは鶴を入れた風呂敷《ふろしき》の包みをとかずに、かう言ひました。
「さあ何だらうね。」と、婆さんは小首を傾けました。「私《わたし》にはさつぱり見当がつかないよ。」
「これさ、この鶴だよ。」
 爺さんは風呂敷の中から、羽をいためたよぼ/\の鶴をそこへ出しました。鶴は驚いたやうな眼《め》つきでそこらを見廻《みまは》しました。
 婆さんは思はずアッと叫びました。
「オヤ/\爺さん、お前さんはマア気でもちがやしないか。鶴なんかを持つて来てさ。」
 爺さんはニコ/\して、
「気なんか少しもちがつてはゐない。これにはわけのあることだ。」と、それから自分が行きがかりにその鶴を救つて来たことを詳しく話してきかせましたので、婆さんも同じく慈悲深い性質でしたから、成程そんな訳だつたかと、その晩は自分達の喰べるお粥《かゆ》を分けて喰べさせ、家の片隅《かたすみ》にとまらせました。

 一月あまりもかうして養つてをりました。すると鶴はいためた羽もすつかり直つて、自由にとべるやうになりました。そこで或日《あるひ》、爺さんと婆さんとは、鶴にかう言ひました。
「さあお前もすつかり丈夫になつたから、お前の好きなところへ飛んでいつてもよろしい。けれどもさう言つたからつて、是非出て行きなさいといふのぢやない。お前が此処《ここ》にゐたければ、何時《いつ》までゐたつてかまやしない。それは、お前の心まかせなんだ。」
 鶴は幾度も頭を下げて、眼から涙をながしてをりましたが、軈《やが》て悲しい声を出して、羽搏《はばた》きすると同時に、空に舞ひ上りました。そして幾度も家の上をまはつて、名残りを惜みながら何処かへ飛び去りました。

 月日の経《た》つのは早いものです。鶴が去つてから一月経ちました。するとその晩遅くなつてから戸を叩《たた》くものがありますから、爺さんが起きて開けてみますと、天女といふやうな美
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